日時:2013年1月16日(水)19:00開塾
会場:グランドプリンスホテル新高輪 秀明
講師:六代目 古今亭志ん橋
世の中は澄むと濁るで大違い「刷毛(ハケ)に毛があり、禿(ハゲ)に毛がなし」
新春初笑い、講師には六代目古今亭志ん橋師匠をお迎え、新高輪・秀明、お座敷でマイク無しの和塾特別席でご案内致しました。ご自身の頭を新年拝み忘れ 替わりの初日の出と称して軽やかに始まった今回は、『吉原』を題材に先生を探しだし、授業展開しようというものでした。
落語界の構成(見習い→前座→二つ目→真打→死ぬ)や師匠ご自身の修業時代のお話から
[落語家に必要な素養をいかに修行しながら培っていらしたか、伺うことができました。]
前半は吉原の歴史(1617年日本橋葺屋町に庄司甚内が幕府に直訴し花街を束ねてできたことにはじまり、明暦の大火(1657年)で浅草田圃に移転、新吉原となり、昭和33年3月31日になくなるまで)と街の構造を浅草田圃の中、土手に囲まれ其所だけ一面ぼうっと灯りのついた碁盤目の不夜城を舞台に、まるでその場にいたのではと思わんばかりの迫真の話芸をもってご案内いただきました。
江戸の遊郭の象徴として歌舞伎(『助六』『籠釣瓶花街酔醒』など)や文学、浮世絵などに登場する煌びやかな世界。その世界を彩る芸者、太鼓持ち、大見世、茶屋、そこで遊んだ豪商たち、編笠をかぶって(顔を隠して)遊んだ武士たち。そして、花魁について。禿たちが自分のついた先輩女郎のことを「おいらん」と呼んだことが呼び名の由来になる。『花魁』は吉原独特の階級制度で、5つある女郎の階級のうち、上から二つ(太夫と格子)を合わせ、部屋持ち女郎の意味で花魁と呼んでいた。ほかの場所(新宿、板橋、千住、品川など)で女郎を買っても花魁は出てこない。一流の遊女は和歌や茶道など教養を身に付けており、初めて上がった客と一緒に寝ることはなく、2度目の登楼で裏を返し、3度目で馴染みになり、ようやく枕を交わすことができるようになった。等々
人身売買の哀しい業態である事実と、社交場としての機能、大名や文化人も集まるサロン的な役割を果たした陰と陽の世界――そんな当時の様子を窺い知る予備知識を蓄え、後半は吉原にちなんだ落語『幾代餅(いくよもち)』をお座敷で鑑賞。
勧善懲悪、ハッピーエンド、予想を裏切らない噺の展開にも関わらず教室中では笑いと涙で溢れかえりました。日本人のエスプリ、琴線を鷲掴みする落語の醍醐味をなかなか上手につまみ食いできたようです。江戸の男の夢とロマン、人情、情緒いっぱいの一席、志ん橋師匠をごく間近に、話の呼吸、所作、間合いをもれなく楽しみ、雪の残る品川で、ほっこり心あたたかまるひとときでした。
ありがとうございました。