日時:2007年4月10日(火) P.M.7:00開塾
場所:六本木 ロンドンギャラリー
城は「土」偏に「成」と書く。「成」は「盛」と同義で、物を積み重ねて叩いて締め固めるの意。つまり、地面に穴を掘って溝をつくり、掘り出した土を盛り上げて土手を築く。それで城。極論すれば、建物は不要なんですな。溝(=堀)と土手(=土塁)があれば城となる。天守閣を城だと思っていた人は認識を改めていただきたい。日本に3万〜5万の城があるというのは、このような城の定義があるから。天守閣が城であるなら、現存するのはたった12。江戸時代でも天守閣もしくはそれに相当するものはせいぜい100くらいしかなかった。本来、人々を外敵から守るために築かれた構造物が城なのだから、天守閣の有無を問う必然はない。土を盛り上げてつくられたもの、それが「城」なのだ。
今回の和塾も、冒頭から塾生の常識を打ち破るお話しで始まったのです。
新谷洋二先生
日本の城は武家の現れた鎌倉時代から発達を始め、戦国時代に入って急速に進化した。といっても、戦国時代初期の城は規模の小さい山城ばかり。もちろん天守閣のような立派な建造物などなかった。土塁に囲まれた城内には掘っ立て小屋レベルの粗末な建物があっただけ。その山城が小山と平地を利用した姫路城や亀山城のような平山城となり、ついには江戸城に代表される平城となる。立派な建物を内に持つ、我々のイメージするお城ができるのも、十六世紀の後半。天守閣が登場するのは、1576年に織田信長が造った安土城がそのはじめと言われている。強大な権力基盤と財政力があり、周辺の情勢が比較的安定していて築城に割く時間的余裕がなければ天守閣などというものを造ることは出来なかったのだ。確かに、戦闘が常態化している最中に遠見意外あまり役目のない天守閣を造る余裕などなかったはず。城は戦いの象徴なんだが、天守閣はそれよりむしろ権威の象徴という側面が大きかったというわけ。
日本の城はその後もさらに進化をつづける。最終的には、城を中心に形成された城下町すべてを堀と土塁で囲い込んだ「惣構(そうがまえ)」と呼ばれるものにまでなる。秀吉が強大な兵員を持って攻め込んでも落とせなかった小田原城がその代表。土塁の内側で生活に必要なほとんどすべてのものが賄えるので、たとえ周囲を包囲されても困らない。攻める側にとってはひどく困った存在。このような城郭は、西洋の都市囲いと類似したもので、これまた我々が抱く日本のお城とは異なる存在だ。土を盛り上げただけのものから、都市をまるごと囲い込んだものまで、城というものまことに多様なのです。
さてでは、そのお城、どのように造られたのか。以下にその手順を紹介しよう。城づくりは何よりまず立地選定から。山を利用して造るのが良いのか、平地に構築するのが好都合か。川や谷は利用できないか。食糧の確保は容易か。味方の兵力はいかほどか。築城に従事可能な労働力と資金はどうか。鬼門のある方位なども含めた様々な条件を考慮して最適な立地を選ぶ。「地選地取」と呼ばれた場所選びが手順の第一。
場所が決まれば次は計画設計。堀や土塁の深さや高さ、その形状。建築物の配置や規模。堀に渡す橋と土塁に穿つ門の数と位置。こうした諸々を構想し決定する。この作業、実際に地面に縄を張って行われたことから「縄張り」と呼ばれていた。
第三の手順は「普請」。現代の用語では土木工事。土塁や石垣、堀、橋などを造築する。山を切り開いたり、海を埋めたてるといった、土地そのものを造成することもあったとか。そして最後の手順が「作事」。現代の用語では建築工事。櫓や城門、御殿や天守閣を造ります。これで築城が完成する。江戸城の場合、増改築も含めて完成までに40年を要したとのこと。まさに、強力な権力と安定した情勢なくして立派なお城はできないということでしょう。
城下町も含めた日本の城づくりでは、陰陽道の四神相応が尊重されたという。北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎。四神が町や城を守ってくれるという考え。近頃話題の高松塚古墳壁画にもこの四神は登場する。平安京の立地もこの考えに沿ってつくられたと言われており、今でも風水の家相などにしばしば顔を出す。京の町は、北に船岡山をはじめとした山々、南におぐら池を擁する開けた平地、東に鴨川、西に山陰道が通っている。陰陽道の四神すべてがそろう見事な地相だったのだ。築城と城下形成に理想的な立地もこれと同様、北側に山があり、南に海や平野が広がり、東に川が流れ、西に幹線道路のある場であった。これこそ、四神相応の立地だったのだ。これはもちろん、軍事的にも優位な条件であること、申し上げるまでもない。
天守閣不要の城の定義で始まり、陰陽道にまで展開した三十七回目の和塾。お話しをいただいたのは日本城郭協会常務理事・東京大学名誉教授の新谷洋二先生。都市工学をご専門とする先生の話は、好きで始めた研究が既に半世紀を越える城の話しで尽きる気配もなかったのでした。