「樋口喜之先生の『和菓子』」 講師:樋口喜之先生

日時:2014年4月26日(土)15:00開塾
会場:渋谷/数寄屋金田中
講師:樋口 喜之 先生(銀座『萬年堂』第13代当主)

いやー、「和菓子の世界」を堪能しきりの、贅沢な時間でした。
講師は1617年創業の「超」がつく老舗、 銀座『萬年堂』13代当主の樋口喜之先生。
『萬年堂』は、もともとは京都寺町三条に「亀屋和泉」として創業。
御所、所司代、寺社等に菓子を納めていた名店です。

◆和菓子とは?
みなさん「和菓子」の歴史をご存知ですか?
なんと、その起源は縄文~古墳時代の古代にまで遡ります。

当時は主食(米や麦など)のほかに、
間食として果物や木の実(ウリ)を食していました。
しだいに、その果物や木の実を乾燥させたり、粥状にしたりと加工するようになり、
自然の果物に対し、手を加えたものを「果子(菓子)」と呼ぶようになります。
今でも果物のことを「水菓子」と言ったりしますよね。
やがて、日本最古の加工食品といわれる「餅」が誕生します。

そうした古代の暮らしのなかで生まれた「菓子」。
伝説もきちんとあります。
橘(タチバナ)を菓子の起源とする「菓祖神」にまつわるお話です。

垂仁天皇(『古事記』『日本書紀』に第11代と伝えられる。4世紀頃)は、
不老不死になるとされる「非時香具菓(タチバナ)」を求め、
田道間守(たじまのもり)を常世の国に遣わします。

苦難の末、田道間守は無事に持ち帰ることに成功します。
しかし、すでに天皇は崩御されており、
それを嘆き悲しんだ田道間守は、半分を太后に渡し、
残り半分を陵墓に捧げ、その場を去らずに絶食、殉死します。
その後、田道間守は「菓祖神」として各地の菓祖神社に奉られるようになります。

時代は進み、飛鳥~平安時代。
遣唐使の派遣により、「唐菓子(油で揚げたもの)」が日本に入り、
唐菓子は神饌などとして現代まで残っています。
そして750年頃、砂糖が初めて(薬用として)日本に伝わります。

鎌倉時代~室町時代~安土桃山時代。
茶の湯の隆盛とともに、点心としてのお菓子が求められるようになります。
この時代に、見た目も美しく、美味しいお菓子が作られ、
現在の和菓子の源流となっていきます。(この頃、南蛮菓子が伝来します。)

戦国時代が終わり、江戸の太平の世になると、和菓子は大きく発展します。
「白い黄金」と呼ばれるほど大変貴重だった砂糖の輸入量も増加し、
富裕層を中心に普及していきます。
砂糖を使って江戸で作られた菓子は高級さから「上菓子」と呼ばれ、
そして徐々に、生活に密着した菓子が作られ武士や町人のあいだにも拡がっていくのです。

実はその「上菓子」。
現代とは違って、携帯電話やメールといった通信手段がない時代。
具体的な来客の日時が定まらない。
それゆえ、蒸菓子にして日持ちするようにし、
一方、手を加えない菓子を「朝生」と呼んだそうです。

ちなみに、「和三盆」は徳川吉宗が享保の改革において、
全国にサトウキビの栽培を奨励し、
四国の藩でその栽培を成功させたのがはじまりで、
その和三盆の普及により、全国の和菓子がさらに発展していくことになるのです。

明治時代になると、西洋のお菓子が輸入され、
和と洋を区別するため、「和菓子」と呼ばれるようになります。
それゆえ、先生曰く「和菓子」とは明治以前のものを指すとのこと。
そのため、カステラも和菓子に入るようで、
カステラ屋さんも全国和菓子協会の会員です。

◆五感で堪能できた和菓子づくり体験
和塾のすごいところは、超一流の講師ご自身が歴史を教示くださるだけではなく、
贅沢な体験ができ、一生涯の経験になるということ。
今回は、お菓子作りに使う道具類を生徒用に手作りしてくださりました。
本当にありがたい、というか恐縮です。
しかも一種類ではなく、三種類も製作体験できたのだ。

ひとつ目は、「薯藷きんとん製 紫陽花」。
まずは先生がお手本を示してくださる。
その一挙一動が美しい。本当に洗練されている。
30cmほど目の前で出来上がっていく芸術作品。

うらごし機から煉りだされた「紫」「緑」「水色」「白」の餡が重なり、
あっという間に、繊細で凛とした色彩豊かな紫陽花が咲くのだ。

実際に作ってみると、これが上手くできない。
繊細で凛とした花が咲かないのだ。
どこか弱々しくかったり、繊細さに欠けたりと、バランスが崩れてしまう。
食してみると、一目瞭然。いや一食瞭然。。
素材は一流のものを使っているのに、どこか不味い。
観て分かる、触って分かる、舌に入れて分かってしまう。

贅沢な最高の日本文化体験だ。
しかも「紫陽花」。季節を先取るのが日本の風流ではあるが、
ここでも日本ならではの季節感を味わうことができた。

続いて、「煉り切り製 萬壽」。
桃色の餡に漉し餡を入れて丸め、ヘラを使い亀甲模様に仕上げるというもの。
作り方はいたってシンプル。一作目同様、上手くできないのだが。。
デザインは「亀や萬年」の長寿を祈願したもので、
また甲羅紋様の六角形は吉兆を表す図形ともされ、縁起のいいものだ。
和菓子は七十二候に加えて、縁の興し方も教えてくれる。
ただ単に美味しいだけではない、人間の営みとはどういうものなのかを
やんわりと提示してくれるだ。

最後は、「外郎製 ちまき」。
まもなく端午の節句ということで、ちまきをチョイスしていただいた。
外郎はあらかじめご用意していただいていたので、
その外郎を三枚の笹の葉で包み込むだけで完成だ。
至れり尽くせりの和菓子づくり体験だ。
笹の葉の香りが五月の到来を優雅に教えてくれる。

お土産として、『萬年堂』の看板商品である、
高麗餅を赤飯に見立た「御目出糖(おめでとう)」をいただきました。
最後の最後までありがとうございます。

和菓子の歴史を丁寧に紐解いでいただき、
一流の素材を使って、季節の移ろいを味わいながら、
和菓子を実際に作ってみるという、
他では体験できない貴重な至福な時間を過ごすことができました。
樋口先生、本当にありがとうございました。