『洛中洛外図』講師:小島道裕先生

日時:10月30日(水)19時~21時
会場:白金/ロンドンギャラリー
講師:国立歴史民族博物館 小島道裕 先生

今日は、現在、東京国立博物館で開催されている『京都―洛中洛外図と障壁画の美』に合わせて、
日本で最も「洛中洛外図屏風」を保有している国立歴史民族博物館 小島道裕先生をお招きして特別講義!

場所も特別にロンドンギャラリー。
先生の背景には、長谷川等伯の屏風絵が見えます。
講義内容は「洛中洛外図を読む」でしたが
裏文脈として、狩野永徳 vs 長谷川等伯 という時空を超えた対決を味わうことが出来ました。
いや、なんともぜいたくな空間。

さて、今回の記事は、
講義を通じて、日本人が本来持っている考え方に思いを巡らせてみました。

京都の市街(洛中)と郊外(洛外)の景観や風俗を描いた屏風絵『洛中洛外図』。
「何が描かれているか」そして、「時代と共にどう変遷していっているのか」を読み解く中で、
洛中洛外図屏風は(近代化以前の)日本人の考え方が凝縮されているもので、
現代を生き抜くヒントがあるのではないかという思いを抱きました。

【1】聴覚情報を映像化できた日本人?
洛中洛外図は、六曲一双形式という構造を基本的に取っています。
「右隻」と呼ばれる屏風と「左隻」と呼ばれる屏風があり、
ふたつの屏風でワンセットです。ひとつの屏風は6分割されています。

<右隻>
京都の東側を6分割にし、
鴨川を中心に左側に内裏・上京の町、右側に祇園社・清水寺・下京の町が描かれています。
<左隻>
京都の西側を6分割にし、
公方御所、細川邸・幕府、舟岡山、北野天満宮が描かれています。

2枚の屏風を向かい合せに置くと、京都の地理と合致し、
京都の全体像を立体的に観察することができるようになっているのです。

確かに、洛中洛外図は、そのように京都をパノラマ的に捉えることはできますが、
面白いと思ったのは、「右隻」には春・夏(1~6月)、
「左隻」には秋・冬(7~12月)が描かれている点です。

京都の地理を全体的に把握するだけではなく、
四季の変化も知覚できるようになっている。
地理(物理)と時間(情緒)を同居させていることが興味深く面白いし、
この屏風の価値はそこにあるんじゃないかとも思い、つらつら考えてみました。

そもそも、昔の日本人は、生活空間を単なる「物理空間」として認識するだけではなく、
常に「時間軸の変化」を交えて、”情緒豊か”に、物事を観ていたのではないでしょうか。

「空間」は【目】で知覚できるもの、
「時間」は【耳】で知覚できるものだとすると、
昔の人は異様に、【耳】が発達しているというか、
耳を澄まし、【耳】から取得する情報を大事にして、日々の生活を送っていた。
目だけではなく、耳からの情報をカタチする能力と慣習が存在したのかもしれません。

聴覚情報を映像化(見える化)できたことは、
農耕民族であったり、一年を七十二候に分けたり、
和歌を詠むことで恋愛を成立させたり、大小様々な要因があると思いますが、
それが、日常ふだんの行為であり、そのような思考様式があったからこそ、
洛中洛外図屏風のような構図が生まれたのだと思います。

情報化の進展で、ますます目に依存しているわたしたち、
(一日中、文字情報に浸かっている!)
近代化~情報化以前の、日本人の五感の使い方・組み合わせ方を考えることで、
この時代を生き抜く術や発想のヒントが見つかる気がしてならないのです。
耳だけで考えてみるとか、鼻だけで考えているとか、などなど。

日本人本来が持っている考え方や知覚感覚を見つめ直すことで、
より日々の日常を彩り豊かに過ごせるようになるかもしれません。

【2】「オリジナリティ」という考え方が希薄で、コピーライトという規範が存在しなかった?

⇒この続きはのちほど。