あやふや偉人・紀文の話し〜江戸東京博物館・竹内誠館長をお招きして

紀伊国屋文左衛門。日本史上最高に「あやふや」な偉人である、と。
江戸東京博物館の竹内誠館長をお招きした本科お稽古。誤解多き傑物の実像をあぶり出す、知的興奮あふれる時間でありました。

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和塾本科5月のお稽古「紀伊国屋文左衛門」
日時:平成27年5月12日(火)19時〜21時
会場:国際文化会館セミナールーム
講師:江戸東京博物館館長・竹内誠
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あやふや偉人といえば、大岡裁きの「大岡忠相」・桜の彫り物「遠山金四郎」・鬼の平蔵「長谷川平蔵」。いずれも実在の人物なんですが、その実態はかなり「あやふや」。中でも、今回のテーマである紀伊国屋文左衛門は、商人であるが為に確かな文献資料がほとんどなく、その有り様はまさに『あ・や・ふ・や』。後の小説や物語が史実の顔で一人歩き。いつの間にかそれが人々にとっての事実となっている。良くある話しです。

例えば、紀伊国屋文左衛門が巨万の富を築くきっかけとなった〜暴風雨の中を紀州から蜜柑を運んだ〜という話し。竹内先生によると、裏打ちする資料は一切なく、完全な創作だろう、とのこと。そもそも、紀伊国屋文左衛門が紀州の生まれ、というのも、既存の資料では証明不能であり、これも紀伊国屋という姓から後に類推されたことだと思われます。

こうした様々な「誤解」、その発信元は、幕末に出版された長編小説『黄金水大尽 盃 』(おうごんすいだいじんさかづき)。二世為永春水が、紀文、即ち紀伊国屋文左衛門をモデルに創作した物語で、12年間にわたり28編もつづき、非常に多くの人に読まれた。その結果、それ以降の書物(小説・講談・長唄・歴史書・・)がそろってこの小説の逸話をそのまま採用。「大日本人名辞書」(明治18年刊)のようなものまでが、そのような状況にあり、多分に創作された物語がほとんど史実のような扱いで流布することとなったのです。

紀伊国屋文左衛門、裏付けのある事実としては、八丁堀の材木商で、大金持ち、銭座を請け負い、江の島に石垣を寄進、吉原で小粒金の豆まきをするなど豪遊し、老後は深 川八幡宮の辺りに住み、享保十九年頃に死んだ。といったあたりか。時の老中・阿部豊後守正武と懇ろとなり、公共事業による材木供給を請け負って巨財を成し、吉原で豪遊したのは、どうやら本当のお話らしい。晩年は没落して貧窮の内に亡くなった、というのも、竹内先生によれば噂話に過ぎないとのこと。バカな贅沢をすると没落する〜という儒教道徳、因果応報の考え方に多くの日本人が納得して、これもいつのまにか実話として一人歩きしたのでしょう。実際の文左衛門の晩年は、それまでの蓄えや、不動産賃貸、武家への貸金などがあり、相当裕福で余裕ある老後だったようです。

実像に触れても尚、紀文こと紀伊国屋文左衛門はとても魅力的な人物。吉原での豪遊も、竹内先生によれば、巧みなPR戦術のひとつではないか、と。紀文は儲かっている、という噂話が広がれば、さらなるビジネスチャンスが生まれたのだろうと。

あやふや偉人だった文左衛門の姿が、少しスッキリ見えるようになって、6月の本科お稽古もお開きとなりました。竹内先生、楽しくて為になるお話し、ありがとうございました。