-お水取り本当の魅力-西山厚先生 第八十三回お稽古

Text by kuroinu
春三月。テレビのニュースに必ず登場するのが「東大寺二月堂のお水取り」です。お寺の欄干を何本もの松明(たいまつ)が火の粉を飛ばしながら動く、あれ。見たことありますね。毎年必ず放映中。・・・でも、アレはいったい何なのか。多忙なる現代人のみなさまには、気にする気配がありません。
第八十三回めの和塾は、それをちょっと気にしてみました。あの「火の粉がワラワラ」な行事=東大寺二月堂のお水取りを学びます。

お越しいただいたのは、奈良国立博物館学芸部長の西山厚先生。久しぶりの公開講座。会場のロンドンギャラリー白金が満席になる素晴らしいお稽古会でしたよ。

西山厚生生

3月12日、数万人の人々が見上げる中、全部で11本の籠松明が二月堂の縁を走ります。この光景こそ「東大寺お水取り」のメインイベント、だと思っている人、多いはずです。ところが、この松明はお水取りの本質ではない。人々は用済みの松明に歓声を上げているというのです。

そりゃいったい、ど〜ゆ〜ことなんでしょう?

東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)、通称「お水取り」とは、どんな行事なのでしょう。西山先生によるとそれは、「十一面観音にお詫びをする行事」ということなのです。昔の人は、世の災いというものは人間が悪いことをするから起こるのだと考えた。だから、観音さまにそれを謝る。謝って、「天下安穏・五穀成熟・万民豊楽」を祈願するのです。仏教用語で罪を悔い懺悔することを悔過(けか)と言います。だから、この法会(ほうえ=仏教儀式)の根幹は「十一面悔過法要」。この根幹にその他さまざまな行法が付加され、それらすべてをまとめて修二会(通称「お水取り」)と呼ぶのです。では、あの「火の粉ワラワラ」な松明はなんなのか。
順を追ってもう少し詳しくご説明しましょう。

二月堂の修二会が始まったのは、今を去ることおよそ1250年の天平勝宝四年(752年)。東大寺草創期の学僧・実忠が、弥勒菩薩の住む兜率天(とそつてん)で行われていた十一面観音悔過を人の世に写して始めたのが修二会の起こりであるとの伝説があります。東大寺要録にも「天平勝宝四年壬辰、和尚初めて十一面悔過を行ひ、大同四年に至る、合わせて七十年、毎年二月朔日(最初の日)より始めて、二七日夜、毎日六時の行法を修す」と記されている。不退の行法と言われる修二会は、なんとそれ以来今まで一度も中断されることなくつづいているのです。今年で1260回、一度も途絶えたことがない。そんな行事は、世界的にも珍しい。おそらくこの東大寺二月堂修二会が唯一の存在であろう、と西山先生はおっしゃいます。

さてこの修二会、現在は3月の1日から14日まで二週間にわたって執り行われている。法会を執行するのは連行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる選抜された寺僧。別火と呼ばれる、連行衆の潔斎と準備のための前行を含めると三週間以上におよぶ長期間の法会なのです。本業では、14日の間、一日を日中・日没・初夜・半夜・後夜・晨朝の六時に区分け、ほぼ同様の次第・内容の法会を繰り返します。これを六時作法と言う。修二会はこの六時作法にさまざまな附帯作法が付加されて執り行われます。
六時の作法は、前半の上七日は、秘仏である大観音への祈願、後半の下七日は、これもまた秘仏である小観音さんへの祈願となる。二月堂内陣の須弥壇を囲むように座した連行衆は、観音さまのお名前を連呼して褒め称えるのだそうです。「南無観自在菩薩、南無観自在菩薩・・・」早口となったそれはやがて「南無観自在・南無観自在・・」となり、終いには「南無観・南無観・・」となる。これが一日に六度、真夜中にも行われる。連行衆が夜の作法に向かうとき、二月堂へと上る石段はもちろん真っ暗なわけで、そのままでは危ないですから、灯りをともす。これが例の松明なんですね。連行衆が内陣に入れば松明は用済みとなり、ぐるりと縁(大床)を回り堂下へ運ばれる。行事を外から眺めると、このとき縁の外に突き出されて火の粉を散らす松明が見えるというわけ。見物の人々は用済みの松明に歓声を上げている、というのはそういうことなのであります。

講座では、附帯作法についてもいくつかお話しを聞くことができました。食作法、水取り、達陀(だったん)、走り、五体投地、数取懺悔・・。
この中で、若狭遠敷明神(わかさおにゅうみょうじん)が献じた井戸・若狭井から水を汲む行事が水取りと言われ、修二会の通称「お水取り」の由来になっている。水取りは13日の午前1時過ぎに執り行われるのですが、井戸自体が閼伽井屋という建物の中にあり、当役の者以外は誰も入ることもうかがうこともできません。現在でもまったくの秘法。閼伽井屋から二月堂内陣に運ばれた水は、参詣者にも分け与えられるということです。
附帯作法の中でおもしろかったのが「走り」といわれる行事です。実忠和尚が兜率天での法会を人間界に持ち込もうとしたとき、天上界の一昼夜は人間界では400年に当たるのだと言われ、少しでもその行に近づくために、できる限り早く作法を行うことにした。なので「走り」の作法は、平安時代以来現在まで、全力疾走で執り行われている。お堂の中を全力で走る寺僧の姿を思い浮かべると、なんだか妙ちきりんな、いささか滑稽な印象ですね。そもそも、寺の中を走っていたら、怒られるんじゃないかと思うのですが、天上界の一昼夜は人間界の400年ですから、それはもう必死で走るしかないのであります。

治承4年(1181)12月28日、平重衡による南都焼き討ち。東大寺の大仏殿が炎上し大仏も焼失した。東大寺はすべての法会を中止したのだが、修二会・お水取りだけは行われています。嘉禎2年(1236)興福寺と東大寺は、すべての仏事と神事を取りやめた。が、お水取りだけは実行。寛文7年(1667)、二月堂そのものが全焼した時も、修二会は執り行われた。先の大戦中(昭和19年~20年)も、東大寺のお水取りは一度も中断しなかった。

そして今年、1260回目のお水取りは、いつものように3月1日に始まります。1000年を越えて、一度も途絶えることなくつづく、世界で日本にしかない行事「お水取り」。軽やかな語りの中に、深く長い思いの込められた西山先生のお話を聞いて、誰もが一度奈良へと足を運びたくなる、二月の和塾のお稽古でした。

西山先生、どうもありがとうございました。次回はご専門の「仏教」のお話しを、再びの公開講座で実施したいと思っています。仏教美術が専門の和塾理事が総力を挙げてお迎えする予定ですので。

 

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西山 厚 / 講談社