ーこけし~つつましき日本の美ー大沼秀顕先生 第五十五回和塾

日時:2008年11月11日(火) P.M.7:00開塾
場所:芝大門 リアライズ802会議室

控えめで、つつましく、かすかな微笑みを絶やさない。いまどきそんな女人は絶滅してますが、東北の温泉地でつくられる「こけし」だけがその心を受け継いでいたのですね。

宮城県・鳴子からこけし工人(こけしの製作者は工人と呼ぶそうです)大沼秀顕さんをお招きした五十五回めの和塾のお稽古は、伝統工芸品・こけしづくりに挑戦です。

大沼秀顕先生

こけしが生まれたのは江戸時代の後期、文化文政(1804~1830)の頃。この時期、温泉で疲れを癒す湯治習俗が一般庶民に定着。お土産としてのこけしが東北の温泉地で産み出されたということです。つくっていたのは木地師たち。ロクロを用いてお椀やお盆をつくる傍ら、お土産物の木製人形をつくっていたようです。

宮城を発祥の地とするこけしはやがて東北の各地に伝わり、そのバリエーションを増やしていった。現在では11の系統に分類されています。大沼先生の「鳴子系」の他に、福島の「土湯系」・仙台の「作並系」・白石の「弥次郎系」・遠刈田や青根の「遠刈田(とおがった)系」・山形の「山形系」「蔵王系」「肘折系」・花巻や盛岡の「南部系」・秋田の「木地山系」・青森の「津軽系」です。それぞれ姿形、胴の模様などが少しずつ異なります。鳴子系はというと、我々がイメージするこけしらしいこけしの形態。もっともオーソドックスな姿形であります。

大沼秀顕先生による鳴子系こけし

こけしに使う木はミズキであることが多い。白い肌を持った落葉高木。初夏には白い小さな花を咲かせます。柔らかく加工が容易なのが特色です。伐採されたミズキは1年ほど自然乾燥させ、つくるこけしの寸法に合わせて切断します。次の作業がロクロ挽き。こけしの底面をロクロに差し入れ、カンナやバンカキで削っていきます。頭と胴は別々に削りだし、削り上げた頭をロクロの回転と摩擦力を利用して胴に差し込みます。この製法は鳴子のこけしに特有で、そのため鳴子のこけしは首がくるくる回りその度に木がこすれ合う綺麗な音がします。組み上がった無地のこけしに描彩つまり絵付けを施し、ロウ引きで仕上げればできあがり。

今日のお稽古ではこのうち描彩=絵付けを体験。
まず、筆を持って紙の上で練習。といっても紙は平面、こけしは立体面ですから、思ったようにはまいりません。

心が決まったら、本物のこけしに筆を入れます。やり直しのきかない作業になります。取り組む塾生の口数が激減します。

最初は頭に、1眉毛・2眼・3鼻・4びん(頭の左右の髪の毛)・5前髪・6髷とかんざし、をこの順に墨色で描き入れます。いちばん細い筆を使います。

次にやや太めの筆に持ち替えて赤の描彩。頭のリボン?と口を描き込む。これでお顔の部分は完成です。後悔する線が随所にあっても後の祭り。諦めるしかありませんな。会場はますます静かになっていきます。

次は胴の描彩。出来はともかく、頭の作業を終えて気持ちが少し軽くなる。後はどんどん描くしかない。赤と緑で菊の花や葉を並べます。やけくその人もいたような気もしますが、気のせいですか? 会場に話し声が戻ってきて、絵付けの作業は完了となります。

塾生の絵付けが完了したところで大沼先生による模範描彩。順序が逆でしたね。最初に模範演技をお願いすれば良かった。ああ、そう描けば良かったんだ。てことがやたらある。

細い墨線、躊躇なく一挙に描く。

こけしは描きやすい向きに持つ。

絵画技法というより書道に近い筆遣い。

胴の模様は間隔とバランスをとりながら。

宮城の伝統こけしは、京人形や博多人形と同じく、経済産業大臣指定の伝統的工芸品。子供のための玩具として生まれたものですが、その美しさが多くの大人をも引きつけ、全国に多くの収集家がいるということです。ただ、ここでもやはり、日本の伝統文化共通の問題あり。鳴子こけしの工人は最盛期から半減し現在では40名ほど。30代の工人は一人だけで、50代の大沼先生もまったくの若手だとか。高齢化と後継者不足。さて、何をどうすれば良いのか。少し考えてみたい問題です。

中央先生の作品を挟んで塾生諸氏のこけしです。