ー俳句~十七音が生む余白ー稲畑廣太郎先生 第六十二回和塾

日時:2009年5月12日(火) P.M.7:00開塾
場所:銀座 くのや 座敷

霞てもホーエンザルツブルグ城 廣太郎

夏めく五月の和塾は俳句のお稽古。
稲畑廣太郎先生を迎えてのお稽古は、くのやの座敷に車座で。

稲畑廣太郎先生

もちろん、塾生一同俳句を詠んだ。小学生以来? もしくは生まれて初めて? の俳句作り。廣太郎先生によれば、予想外の出来でしたとのこと。

ではまず、ぞの塾生作品を披露いたしましょう。
順不同、作者の特定もできませんが、以下に。

あこがれの山女踊るよ藤の花

カーネーション贈る受話器に母の声

まなむすめ初めてつくる柏餅

マネキンの腕はずしけり更衣

帰り道亡き母想う母の日に

離れ住む娘から写メ五月晴れ

得意気に穴子をはこぶ釣り自慢

白球は峰に消えゆく富士桜

金雀枝の陰蜂の声巴里の夢

蝶ひとつ乗せてうつむく姫女菀

葉桜に風在り光吹き流し

母の日に送ることばにむねつまる

夏めいてきたる和光のあたりより

メールにて義理事すます母の日に

青空に風のみ泳ぐ鯉幟

くろ犬の泳ぎ去る海夏の月

鯖の背に電球映りて夏の空

柏もち広げた葉っぱに夏の露

母の日も花より団子我が妻は

源泉湯新緑の中風香る

雨上がり若葉にかかる虹の橋

俳句は江戸の俳諧から生まれた文芸。俳諧は室町が最盛の連歌を礎にしています。連歌とは多人数の作者が連作する詩で、五七五と七七の音節を延々と連ねていく。中でも長連歌といわれるものは、百韻と呼ばれ百句を一作品とする。これが室町時代には、百韻を10集めた千句や、それをまた10集めた万句なども現れているとか。江戸の頃には、短縮化が進み、歌仙といわれる36句の形式が流行、これが俳諧の連歌の主流となった。さらには、これら連歌の第一句のみを単独で鑑賞する発句という形式も生まれる。この発句が後の俳句につながるというわけ。
俳句を成立させたのは明治の文人・正岡子規。子規は江戸末期俳諧の卑俗・滑稽を否定し、芸術性を高めて俳句を確立させたのです。つまり俳句は明治の生まれ。松尾芭蕉の作品は俳諧であり発句。これ(芭蕉の作品)を俳句とするのは、時代をさかのぼって俳諧・発句を見直したということなのですね。

さて、その俳句。つくる時にいくつか約束がある。
第一に、五・七・五の17音でつくること。17「字」ではなくて17「音」ですな。五音と七音というのは日本語としてとても治まりがよい。耳に心地よい。日本語のコトバ、二音と三音でできているものが多いことがその心地よさの理由だと言う人もある。 犬とか猫とか、椅子とか家とか、今とか明日(あす)とか。これらは二音。秋刀魚とか麒麟とか、机とか布団とか、未来とか昨日(きのう)とか。これらは三音。3+2=5音。3+2+2=7音。だから五音とか七音は治まりがよい、という意見。しかし、それなら、2+2=4音とか、3+3=6音も治まりがよいということになってしまう。結局理由はよく分かりませんが、五音と七音は確かに心地よい。で、俳句はその五音と七音でつくるのが原則。
第二の約束は、季語・季題が詠み込まれているということ。季節を示すコトバが必ず入っているのです。俳句は「花鳥風月を諷詠する詩」(高浜虚子)。つまり、自然に触れた時の感動、四季の移り変わりゆく感動を表すものなのです。だから季語・季題は必須。といっても、季節感というものをすっかり見失っている我々にはこれがとても難しい。例えば、菖蒲(しょうぶ)とか、粽(ちまき)とか、茄子を植えるとか、蕗(ふき)とか、桐の花とか、花水木とか、穴子とか。これらは皆5月の季題なんですが、ほとんどわかってない。その上歴史的な有り様を基準にした季語・季題もあるのでたいへんです。例えば、凧揚げ。これは4月。大掃除は春3月。月は秋の季語・・などなど。日本の四季を再確認しなければ俳句は詠めません。勉強が必要ですね。

といっても、こうした約束に囚われると俳句への気持ちが萎えてしまいます。身近な気持ちを17音や季語を気にせず書き留めてみること。そんな気楽なところから入るのが俳句への近道だというのが廣太郎先生のアドバイスでした。

さて、俳人や愛好家は「句会」というものをしばしば実施している。そこで今回の和塾でも、後半はミニ句会を開催。
先生を基点に全員が車座になり、句会用の用紙が配られます。用紙は全部で5種類。投句用の「句短冊」、句短冊に書かれた句を書き写す「清記用紙」、自分の投句を書く「投句控」、予選句を書き留める「予選用紙」、自選を発表する「選句用紙」。用紙が配布されたら次に制限時間15分で出席者全員が俳句をひねり出し、句短冊に書き込みます。意外に皆真剣でしたね。皆さん立派な日本人ですから、ともかく五・七・五の俳句は出来上がるものです。が、その自作が良い句なのか駄作なのか、我ながらよくわかりません。負けず嫌いの塾生は、自作こそ一番だと思っているのかもしれませんが、どうだか。ただ、実際に詠んでみると「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」や「荒海や佐渡によこたふ天河」や「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」などという、読めば至極簡単な俳句が実はとても詠み難いものなのだということは分かります。岩にしみ入る蝉の声、なんてよくも詠んだものです。芭蕉先生、会って話しを聞いてみたいものです。
全員の創作が終了したら回収された句短冊の句を清記用紙に書き写し、これを総員が回し読む。で、秀作と思う句3つを選んで選句用紙に書き出しこれを廣太郎先生が回収。それぞれの選句が読み上げられます。句を読み上げることを「披講」というのは、第22回の和塾「和歌の披講」で学習済みですね。(ミッキーマウスが先生でした)  ここで、自分の句が読まれた人は、名乗りを上げる。名字=姓ではなく、名=下の名前を声に出す。「正靖です」とか「雄三です」とか「一久です」など。自分の名を名乗るなんて滅多にないことですから、ちょっと照れます。選ばれたのはうれしいけれど名乗るのはちと恥ずかしくて複雑。最後に廣太郎先生の選句が発表されて、和塾のなんちゃって句会も終了。楽しかったですね。

ちなみに、廣太郎先生による選句、つまり今回の秀作は以下の9句でありました。

青空に風のみ泳ぐ鯉幟
蝶ひとつ乗せてうつむく姫女菀
母の日に送ることばにむねつまる
母の日も花より団子我が妻は
くろ犬の泳ぎ去る海夏の月
まなむすめ初めてつくる柏餅
マネキンの腕はずしけり更衣
帰り道亡き母想う母の日に
得意気に穴子はこぶ釣り自慢

・・・平成二十一年五月十二日銀座和塾
廣太郎選

お稽古の中で、芭蕉の句「古池や蛙飛びこむ水のおと」の英訳に関する話しがありました。調べてみると、この句の英訳はとてもたくさんある。
例えば、ラフカディオ・ハーンによる英訳は「Old pond — frogs jumped in — sound of water.」。B. H. チェンバレン訳「The old pond, aye! and the sound of a frog leaping into the water.」正岡子規訳「The old mere! A frog jumping in, The sound of water」斎藤秀三郎訳「Old garden lake! The frog thy depths doth seek, And sleeping echoes wake.」R. H. ブライス訳「The old pond; A frog jumps in, –The sound of the water.」J. カーカップ訳「 pond  frog  plop」ドナルド・キーン訳「The ancient pond A frog leaps in The sound of water.」マーク・ピーターセン訳「Old pond, A frog jumps in, Sound of water.」。英米の教科書に載っている英訳「An old quiet pond・・・ A frog junps into the pond, Splash ! Silence again.」
ま、確かにそうなんでしょうが、明らかに何かが違いますね。

日本の俳句には、17音という制約から生まれる「間」があります。これが鑑賞者に想いを巡らせる余白となり、深く心地よい余韻が生じます。禅の庭や水墨画などの「余白」や「間」と同じこころ。日本の文化が持つ大きな特色がここにもあったのですね。廣太郎先生のお話し、お稽古終了後も尽きることなくつづいたのでした。ありがとうございます。

稲畑廣太郎先生
昭和32年兵庫県生まれ。昭和57年合資会社ホトトギス社入社。昭和63年よりホトトギス編集長。社団法人日本伝統俳句協会理事。高浜虚子の曽孫さんです。

※ホトトギスのサイト:http://www.hototogisu.co.jp/

曽祖父(ひいじいさん)虚子の一句 (俳句入門シリーズ (2))

稲畑 広太郎 / ふらんす堂