日時:2006年5月9日(火) P.M.7:00開塾
場所:銀座 久のや
家紋はユルイ。伝統的日本の文化にもかかわらず、その自由と平等のスキーム、失ってほしくないものです。何処の誰が何時から何処でどんな家紋を使っても大丈夫。まったく新しい紋を創案して家紋としても平気。葵の紋や菊の紋、著名な家紋を自由に改変・合体してもよろしい。その敷居の低さは特筆ものです。大らかでテキトー。家元だとか昇段試験だとか男子直系だ、とか言わない。基本を少なくとも十年修行してから応用としてのくずしが始まるのです、なんて言われない。
家紋研究の第一人者・千鹿野茂先を迎えてのお稽古は、これまでの和塾とは反対方向の驚きに溢れたものでした。
千鹿野茂先生
もうひとつ、日本の家紋をなんだか緩やかな存在にしているのがその文様。とても平和的なんですね。西洋のそれが、剣や盾、獅子や鷲をモチーフとして少々戦闘的なのに比べるとすっと優しいシンボルなのです。自由・平等・平和。それが日本の家紋の隠れたコンセプトだったんです。
日本の家紋に使われるモチーフ、代表的なものは以下の通り。
烏・鳩・葵・柏・銀杏・杉・桐・鳥居・額・鑑・鈴・弊紙・宝珠・蓮・茗荷・錫杖・法螺・大根・百足・・・。自然現象を象徴したもの、植物紋、動物紋、神社関係のモチーフ、仏教関係のモチーフと本当にたくさんの種類があります。現在判明している家紋の種類は25000にのぼるとのことです。
そもそも、日本の家紋のもとになった表象・図案はほとんどが中国から伝わったもの。ところがその中国には家紋は存在しない。伝来の図案を家のシンボルとしたのは日本人の創意工夫によるものなのです。こうした図案が家紋として使われるようになったのは、平安時代の後期。当時の貴族たちが御所車に家の印を入れたことが始まりといわれています。その後武家も家紋を使うようになった。鎌倉時代の蒙古襲来図にあるのが、武家による家紋使用の現存するものでは最古の実例とのこと。そして、徳川時代、貴族と武家のものだった家紋を町民・庶民も使い始めた。鎌倉時代には400種ほどだった家紋がこの頃数万種類に膨れ上がったのです。家紋自由化の時代といえましょう。
今回のお稽古で一番の驚きは「この紋所が目に入らぬかぁ〜!」の水戸黄門。あの印籠に刻まれた葵の紋、間違ってるというのです。葵の紋にも種類がいろいろあって、徳川十五代の将軍家でも、紋のデザインは少しずつ異なるとか。水戸の徳川家の紋は確かに葵だが、テレビの中で黄門様ご一行が唐突に突き出すあの葵紋とは別物なんだって。それじゃ毎週ひれ伏してる悪者どもが浮かばれません。
まあ、そもそも自由・平等・平和が家紋のコンセプトですから、印籠出されてもひれ伏す必要が端からない、というのが正解かもしれません。
千鹿野 茂 [ちかの しげる]
1927年生まれ。埼玉県飯能市出身。家紋研究家。半世紀にわたり家紋研究一筋に打ち込む。現在、日本家紋研究会会長。家系研究協議会理事。
2004年『都道府県・姓氏家紋大辞典』西日本・東日本編全2巻(柏書房)を編纂刊行。同書は、約45年にわたって全国の寺院や霊園の墓に刻まれている家紋の調査を進め、250万世帯余に及ぶ膨大な資料を整理し完成した調査本としては日本では初めてのもの。その他に『新訂寛政重修諸家譜家紋』(続群書類従完成会)をはじめ、『日本家紋総鑑』(角川書店)、『家紋でたどるあなたの家系・正、続本』(続群書類従完成会)、『探訪江戸明治名士の墓』(新人物往来社)等の著書多数。