日時:2009年8月26日(水) P.M.7:00開塾
場所:銀座 くのや 座敷
Text by kuroinu
作法というのは、相手を思う「こころ」を「かたち」にしたもの。こころが伴わない行為は、作法に悖(もと)るということです。
例えば、食事の作法を知らぬ客人がいる。それに対して「あの人はマナーが悪いわね」と論(あげつら)うようなことは、相手を思う「こころ」のないこと。客人に恥をかかせぬよう、ここではしばし作法を度外視する。・・・・・。
わからなくもないのですが、となると、そもそも作法の存在意義はどこにあるのかと悩み始めるブログ子ですが、ま、お稽古を進めましょう。
今回は小笠原礼法のお稽古。本部総師範・鈴木万亀子先生をお迎えして、大人の作法を学びます。
鈴木万亀子先生
それにしても鈴木先生、その立ち居振る舞いがいちいち美しい。穏やかで抑制の効いた受け答え。こんな風に年齢を重ねることができたら、素敵なことです。
小笠原礼法中興の祖とされるのは、小笠原貞宗。室町時代の武将で、後醍醐天皇より「小笠原は日本武士の定式たるべし」との御手判を賜った。この貞宗から四世後の長秀が、将軍足利義満の命によって編纂したのが「三議一統」。これは、武士の一般教養の指針を目指した武家礼法の古典。後世「小笠原といえば礼法」といわれる基盤をつくったものです。
この室町時代の伝書には「まず女はいかにも、心やわらかにあるべし」とあるそうで、皆さんはいかがなものでしょう。鈴木先生は、相当に「心やわらか」なお人柄とお見受けしましたが・・。
江戸時代になると、小笠原礼法は徳川幕府の公式礼法となった。町人が力をつけ始めると、格式のある礼法を身に着けたいと考える人びとが現れ、小笠原流と称した礼法が巷にあふれ出した。本来の礼法とは少々異なる、形式を偏重した堅苦しく難解な「作法」の登場です。礼法の本質を理解していない人が作法を教授する。明治時代になってもこの流れは変わらず、女学校などの作法教育に取り入れられてますます世の中に流布していった。今、「礼法」とか「作法」といわれると、どうにも堅苦しそうで、できれば遠慮したい、なんて思いを抱く人が多いのは、こうした歴史があるからのようです。今回のお稽古でも、「小笠原礼法」と聞いて遠慮しちゃった人もいたようで、それ誤解ですよと、いっておきたい。鈴木先生のお稽古は、ちっとも「堅苦しく」なかったです。正しい座り方。座るための筋肉の鍛え方。正しいお辞儀。お座部の扱い。・・・お稽古は盛り沢山。2時間があっという間で、まだまだ聞きたいお話がたくさんあって、充実のお稽古でありました。