ー手妻〜不思議だけじゃないよー藤山新太郎先生 第八十二回お稽古

日時:2011年1月11日(火) P.M.7:00開塾
場所:銀座 くのや

Text by kuroinu
手妻(てづま)。日本独自のマジック。そも、独自の文化に根ざして、千年以上の歴史を持ち、しかも現存する奇術は、中国とインドと日本にしかない。そしてこの手妻、不思議だけを核として聴衆の刺激を増大させつづけるしか道のない西洋マジックとはまったく異なる哲学を持っているのです。

新年最初の和塾のお稽古。手妻の継承者でありかつ圧倒的な第一人者、しかも日本文化への深いまなざしを持つ哲人、藤山新太郎生生をお迎えしてのまことに楽しいひとときでありました。

藤山新太郎生生

日本の奇術の歴史はとても古い。「奇術」という言葉は日本書紀にすでに見られるというのですから。散楽と呼ばれた雑伎に組み込まれた奇術は、752年の大仏開眼供養でも披露されている。平安時代に描かれた「信西古楽図」には、火吹きを演じる奇術師が登場しています。室町の頃、放下として興行をつづけた奇術師は、やがて手妻師となり、江戸期を迎えて大きな華を開かせるのです。

藤山先生のお父さまは南けんじというお笑い芸人。だから先生、幼い頃から芸事は大好きだった。中でもマジックには特に興味があり、楽屋で奇術師から習ったマジックを友だちに披露して喜んでいたそうです。はじめて舞台に上がったのは11歳の頃。父親の舞台の合間を埋める出演でした。正式に奇術の師匠についたのは12歳。松旭斎清子という少し変わった奇術師だったそうです。清子師匠が演じるマジックは、西洋のものもあれば手妻もある。ただ、どんなマジックを演じる時も、その衣裳は和服だった。さまざまな奇術を学ぶ中で、藤山先生やがて「手妻」に強く興味を抱くようになる。が、その頃(昭和40年代)日本独自のマジック「手妻」はまさしく絶滅寸前だった。表舞台から退き、ほとんどがその行く末を諦めていたかつての手妻師たちを尋ね歩き、この日本独自の奇術を学び継承する藤山先生の苦労はその後何十年もつづくことになります。そして今日、この貴重な日本の文化は、先生のほとんど孤立無援の努力で絶滅の危機を乗り越え、我々の前にイキイキと実存しているのであります。
日本人は皆、先生にお礼を言わなければなりません、です。

という堅い話も大切ですが、今回のお稽古は当然のことですが、先生の数々のマジックを目前で鑑賞することができた。それがもう、びっくりの連続で。いい歳のオヤジ塾生に大受け。紙切れが饂飩に化けるマジックには、総員が仰天。なので、今回はその「紙饂飩」を塾生がお稽古したのです。タネを明かせばまるで単純なことで、二・三回も練習すればたぶん誰でも実演できる。単純だからこそ、驚きも大きいのかもしれませんが。
参加した塾生が、各地でこの芸を披露するでしょうから、タネの説明は控えますが、写真を少しご紹介します。参加できなかった方は、なんとかして解析いただきますよう。どうしても気になって眠れない場合は、世話人までお問い合わせください。

ちなみに、お稽古ではもうひとつ宴会芸をご教授いただきました。これは動画にてご紹介いたします。次の飲み会で、みなさんもぜひ。

冒頭にも触れましたが、西洋マジックと手妻の最大の違いは「不思議だけじゃない」ところ。日本の奇術「手妻」は、不思議の先に何を語るかが肝心なのです。カードを見事に引き当てるとか、カップの中をコインが通り抜けるとか、人間が空中に浮かぶとか、ライオンが瞬間移動するとか、自由の女神が消えちまうとか・・・・・。西洋のマジックは不思議だけがその核心ですから、観客を引きつけておくためには、基本的にその不思議をエスカレートさせるしかない。20世紀以降の欧米型エンタテイメントは皆この陥穽にはまり込んでいる。マジックショーも映画も遊園地も。情報過多と過剰な刺激。受け手に考える余地を与えないそのあり方は、結局いずれ行き詰まるのじゃないかと思います。
で、日本の「手妻」。不思議の奥に情緒があり風情があり無情がある。お稽古の最後は、藤山先生による至芸「蝶の曲」だったのですが、そこに展開される物語の素敵なこと。扇に煽られた一羽の蝶が宙を舞う。(それはもちろん「不思議」ではあります)蝶はやがて伴侶を見つけ、二羽の蝶が楽しげに戯れる。(これがまたさらに「不思議」)楽しげに飛ぶ蝶たちは、しかしやがてその生を終える時が来る。一羽の蝶が地に落ちて動かなくなる。そしてもう一羽も・・・。藤山先生はここで静かに天を仰ぎます。しばし時が流れる・・・。そして・・・、小手に揉み込まれた和紙が千羽の蝶となって華やかに宙を舞います。また、新しい命が生まれ、万物は流転する。
紙をひねっただけの蝶がどうしてあんなに飛び回るのかは、確かにタネを知りたくなる「不思議」ではありますが、このマジックの核心はそこにあるのではないのですね。だから観衆はこれに飽きることがない。もう一度観たくなる。観て人生の無常やら風情やら新生やらを感じたくなる。日本のエンタテインメントはまことに深遠なことであります。

藤山先生のこの至芸「蝶の曲」は、全編動画で収録したのですが、掲載許可が出ませんでした。なので、動画から切り出した静止画を以下に紹介します。
実演をご覧になりたい方は、週末土曜日の夜、神田明神近くの神田の家にお越しください。運が良ければ、藤山先生の蝶に会えるかもしれないですよ。
神田の家の江戸手妻(新日屋)


宴会芸をふたつほど会得し、情緒あふれる日本の文化に接する素晴らしいお稽古でした。手妻をもっと多くの人々に観て欲しい。参加した塾生が皆そう思った。藤山先生、これからもさらなるご活躍を。ありがとうございました。