日時:2009年9月8日(火) P.M.7:00開塾
場所:銀座 くのや 座敷
Text by kuroinu
折り紙は大人の遊び。余裕と教養を兼ね備えた立派な大人のものだったのです。
だから和塾は、まさにぴったり。余裕と教養にはいささか疑念もありますが、立派な大人が机を並べて、タノシイ折り紙のお稽古でした。
岡村昌夫先生
折紙には「実用折紙」と「遊技折紙」がある。モノを包んで携帯したり贈答したりする「実用」と、鶴とか船とかを折る「遊技」です。歴史はもちろん「実用」が長い。平安の頃には既にあったようで、そのあたりの話しを最初に少し。
折紙と言えるかどうかは微妙ですが、平安の中頃、貴族社会ではすでにモノを包む紙を懐中にしていた。もとは「たたみがみ(畳紙)」と呼ばれ「たたんがみ」「たたうがみ」と変化した。書類ホルダーを「タトウ」と呼ぶ、その大元ですね。「折紙」と呼ばれる最初のモノは、贈答品の目録を書いて畳んだ紙。例えば太刀を贈る時、その銘や作者名を記入する。だから「折紙付き」は由緒が保証された逸品ということになる。これらの実用折紙は、室町時代に礼法家によって整備・体系化されていった。和塾でも学んだ小笠原流にもたくさんの礼法折紙がありましたね。
小笠原礼法折紙(礼法のお稽古から)
一方の遊技折紙はいつごろ発生したのか。岡村先生の研究によると、文献上は井原西鶴の好色一代男(1682年)にある「或時は、おり居(おりすえ)を、あそばし、比翼の、鳥のかたちハ、是ぞと、給わりける。」が初出。主人公が7才の時、折紙をなさり「比翼の鳥の形はこれだよ」と言って腰元にくださった、とある。この「おり居」というのが後の折紙で、鳥の形を折ったというのですから、遊技折紙の最初というわけです。絵として遊技折紙が現れるのも、同じ頃の衣装デザイン集である「ひいながた」が始め。元禄12年(1699年)の「百種歌入名所ひいながた」に折り鶴模様が描かれているとの報告があり、これが遊技折紙の最古の例ということです。その後は資料も豊富で、歌麿や国貞、北斎、豊国といった作者によるいわゆる浮世絵にも多くの遊技折紙が登場しています。
そんな中で岡村先生が特に着目されているのが、寛政9年(1801年)初版の「秘伝千羽鶴折形」。版元は京都吉野屋為八、折紙作者は桑名の長円寺という浄土真宗の寺の住職だった義道(号は魯縞庵)、絵入狂歌本の形を採用し執筆したのが秋里籬島。今回の実技も、この「秘伝〜」を参考に、つなぎ折鶴に挑戦することになった。
「秘伝千羽鶴折形(写し)」の表紙
その中面
で、その「つなぎ折鶴」、先生のお手本を少し見てみましょう。
これらの鶴は何羽つながっていようが、すべて1枚の紙から折られている。鶴をたくさん折って、後から糸でつなげているのではないのです。昨今のいわゆる千羽鶴は糸で鶴をつないでいますが、江戸期のものは皆1枚の紙からできている、というのです。実物を眼にするとかなり驚いてしまいます。これを1枚の紙からつくるなんてちょっと想像できない。が、先生によると、さほど難しいものではありません、とのこと。というのは、折り鶴の構造は正方形の用紙の四隅と各辺の中点が完成形の表面に全部出てくるものなので、無理なく「つなげる」ことが可能だからです。つまり、用紙にあらかじめつなぎ目を用意しておき、後は順に鶴を折っていけば良い。いくつつながっていようが、基本はそういうことで、鶴さえ折れれば「つなぎ折鶴」は誰でもできる、というわけ。
そう言われてもよく分からないでしょうから、実体験ということで、お稽古は実技へと進みます。
お稽古では、同じ大きさの四羽の鶴がつながっている「つなぎ折鶴」をつくりました。「秘伝千羽鶴折形」にも、「楽々波(さざなみ)」とか「四ッの袖(よつのそで)」「風車(かざぐるま)」など同サイズの四羽が連なる作例があります。
どこがどうつながるのか、事前によく考える(羽がつながるのかクチバシなのかなど)のが「つなぎ折鶴」ではとても重要です。そこが決まれば、クチバシと尾を結ぶ線を折っていき、それ以外の折り線として、並行線と垂直線を折る。羽の部分には決して折り目を入れてはいけない。つなげる時にどこがどこやらわからなくなるからこれはとても重要です。斜めの折り線は、必ずクチバシと尾のラインになる。折り目がつけばこれが設計図になります。それからはさみを入れてそれぞれの鶴を折る正方形を切り出します。もちろん、つなげる箇所は切らずに残す。残すのは数ミリ。長く残すと折りにくく、短すぎると切れますから慎重に。といっても、用紙が和紙ならそう簡単に切れることはありません。お稽古でも先生にご準備いただいた和紙を使った。つなぎ目は1〜2ミリでも大丈夫。和紙というのは強いのですね。
四羽のうち一羽が仕上がった状態。 この後順次折り上げていきます。
折り線を入れ、必要なところを切れば、あとは順に鶴を折るだけ。確かに、鶴さえ折れればそんなに難しいことではない気もします。お稽古でも、出来の善し悪しはともかく皆それなりに完成させていたようですな。といっても、なにせ初めてのことなので、かなり苦労した。どこが羽でどちらが尾なのかわからなくなったり、そもそもの鶴の折り方がわからなくなったり、尾と頭が妙な方向に曲がってしまったり・・・。忍耐力と集中力、必要です。
完成例 よく見るとガタガタですが・・・。
折り鶴は最後に息を吹き込んで完成させることになっています。が、実際に折ってみると、息を吹き込む必要はない。両手で翼を開けばそれで完成する。では、なぜ鶴に息を吹き込むのか。岡村先生によると、これは折鶴が「祓えの形代(かたしろ)」だったからだろう、とのこと。息を吹きかけることで穢れ(けがれ)を移しているのです。形代は身体を撫でたり息をかけたりして穢れを移して流すもの。人形(ひとがた)などを舟に乗せて流す風習が今でも各地に見られますよね。折鶴にも水に流したり、風で飛ばしたりする絵が残っています。時が下って病気平癒を願うお見舞いの贈りものとして千羽鶴がつくられるようになり、やがて国際平和の象徴にまでなった折鶴。もとは息を吹き込んで川に流す厄除けの形代だったのです。
とにもかくにも、つながった四羽の鶴を折りあげて、9月のお稽古もお開きとなりました。ただ、今回はちょっと復習が必要かもしれません。せっかく会得したつなぎ折鶴、忘れてしまうのはもったいない。残った和紙をいただいて、自宅で鶴を折りましょう。できあがったら、息を吹き込んで水に流す。穢れを祓って気分もスッキリするかもしれませんぜ。
改訂版 つなぎ折鶴の世界―連鶴の古典『秘伝千羽鶴折形』
岡村 昌夫 / 本の泉社