日時:2009年1月13日(火) P.M.7:00開塾
場所:六本木 ロンドンギャラリー
春画最大の特色は、性器が無闇にデカイこと。インドや中国、ヨーロッパのエロティック・アートでは、こんなに大きな性器は登場しません。歌麿の巨根。実際に目にすると確かに太い&長い。あり得ないサイズですな。
新春のお稽古は、江戸のポルノグラフィー。たぶん過去最高の出席率で満席の会場に、白倉敬彦先生をお招きして始まりました。
白倉敬彦先生
春画の性器(男性器・女性器ともに)が大きい理由。2説あります。生殖器への崇拝からくるもの、というのがひとつ。もうひとつは、その方が(性器が巨大な方が)絵的におもしろいから、というもの。さてどちらが正しい根拠なのでしょう。
古代以降日本人は明確な性器信仰をもっていた。確かに、男女性器をご神体とあがめる祭りが日本の各地にある。春画の性器が巨大なのは、この性器信仰を受けたものだ、というのが第一の見解です。けれど、春画を実際目にすると感じるのですが、巨大性器の理由はどうもそんな高尚なことである気がしない。学者・研究者諸氏が実態を越えた衒学的根拠をひっつけたんじゃないか。白倉先生もどうやらそれに近い見解をお持ちのようで、春画の性器が現実的比率ではポルノグラフィーとしてのインパクトに欠け、おもしろくも何ともない気がするのです。絵としてのおもしろさを追求した結果、春画の性器はかくも大きくなったのだ、という根拠の方があたっていると思いませんか? リアル・サイズではおもしろくない、笑えない。
ではなぜ、絵的におもしろくなければならないのでしょう。実は、ここに春画のもうひとつの特色があります。世界の他のポルノグラフィーにはほとんど見られないことですが、日本の春画は「笑い」の要素が必須になっている。だから春画は「笑い絵」と呼ばれていた。それをさらに隠語風に「ワじるし」と呼び、今でも美術商や研究家の間ではこの呼称が使われているとか。春画には書き入れという文章が記されているものが多いのですが、これも読んでみると相当笑えます。喜多川歌麿、吉原の遊女と若者の交情場面にはこんな書き入れがある。
喜多川歌麿「ねがひの糸ぐち」
「今夜は一丁で堪忍してくんねへ。木の節穴でも穴と聞くとこらへられねへ血気盛んの俺でも、おめへのよふな好きな女郎にやア、もふへいこう・・」「これさ、マアこつちらへ横に寝なよ。これさ、どうしてもこうしても、もう堪能するまでは放しはしねへ・・。女郎のぼぼにこんな露沢山なのは滅多にはあるめへ・・」
笑いを組み込んだエロティック・アート。それが春画だったのです。巨大な性器も「笑い=面白味」の一要素だったのではないか、というわけです。
春画本
ところで、木版の春画にはふたつのタイプがあった。たいていが三冊ひと組の絵本タイプのものと、概ね12枚ひと組だった一枚物の画帖。前者は貸本屋を通して庶民に流通し、後者は比較的富裕な層に販売されていた。貸本はもちろん他の読み物なども扱っていたようですが、目玉商品はやはり春画。いつの時代もメディアの普及にエロは必須。文化五年(1808年)の記録によると、江戸に656人、大阪に約300人の貸本屋がいた。全国では優に1000人を越える貸本屋がいたのです。当時の価格で春画のレンタル料は1日百文。現在価格では2500円くらいでかなり高額。それでも「ヮじるし」の需要は相当に大きかったようです。絵師にとっても春画は実入りの良い仕事だったようで、当時の浮世絵師はほとんど皆春画を描いている。歌麿はもちろん、歌川国芳も豊国も鈴木春信も鳥居清長だって描いてる。あの葛飾北斎の春画もあります。春画が発見されていない浮世絵師は写楽くらいなのです。もちろん、春画は一応禁制品ですから、絵師も実名を明示してはいません。北斎も春画では「紫色雁高」という号を名乗っていました。
葛飾北斎の春画
さて、春画を見ると江戸の性風俗がいろいろわかります。ダブル不倫だとか婚前交渉とか夜這いとか覗きとか。輸入品の禁欲的モラルに縛られていなかった日本人本来の「楽しくおかしい性」がある。歌川国貞が「昔は知らず今時の女の子に、十五十六まで男の肌知らぬ娘もなけれど、表向きはどこまでも、始めてのつもりなり。」などと書き残している。(春画と江戸風俗:白倉先生の著作より)これ、最近の話しではなくて、1835年の話しです。江戸の世では婚前交渉なんて当たり前の話しだったんですね。近代の処女崇拝や純愛神話はなんだったのか。結婚するまでは純潔を守ろうなんていったい誰が言い始めたことなのか。
春画の性風俗でもうひとつ特色的なのが交合の回数です。ともかく回数がやたら多い。白倉先生の研究によると、当時の性生活には前戯がなかったとのこと。いきなり結合してすぐ終わる。猿のセックスみたい。そのかわり回数は現代よりずっと多かった。ちょっと誇張もあるでしょうが、今すぐ3回ほどこなして、夜になったらあと5〜6回もやりましょう、てな話しが春画の中にはゴロゴロしています。江戸時代にもフェラチオはあったようですが、それも前戯ではなく、回数を要求するための行為だったとか。江戸の男はたいへんです。
浮世絵版画の普及とともに庶民の楽しみともなった春画は、縁起物としても流通していました。特に、結婚の時には嫁入り道具のひとつとして長持ちの底に入れられていた。だから、しかるべき家にはかならずいくつかの春画あった。日本国の特にやんごとなき一家にも、従ってたくさんの春画が秘匿されているとか。見せていただけるはずもありませんが、とても気になる存在です。
満員御礼にて椅子が足りません、の春画のお稽古、興味尽きることなく時間超過で尚惜しまれつつ幕となりました。
イヤ、本当に満席でした。
春画で読む江戸の色恋―愛のむつごと「四十八手」の世界
白倉 敬彦 / 洋泉社
春画と江戸風俗
白倉 敬彦 / ソフトバンククリエイティブ