ー歌舞伎の見方ー十か条のご誓文ー渡辺保先生 第九回混合クラス

Text by miyaben
3月の「はん居」和塾は、「歌舞伎の見方」です。
講師に演劇評論家の渡辺保先生をお迎えしました。

先生は数え6歳の時、親に連れられ六代目菊五郎の『狐忠信』を見た。もちろん、言葉の意味などわからなかったけれど、ともかく面白かった。そんな原体験をお持ちです。
若くして演劇評論家を志し、一時、東宝演劇部企画室に身を置きますが、これは演劇を創る側を知っておこうというお考えだったそうです。在勤中より現在のペンネームで数々の著作を発表し、2000年紫綬褒章を受賞されています。

渡辺保先生

そんな先生が、例によって、歌舞伎を観た経験もほとんどない塾生たち優しく語りかけます。お話しは、古典芸能(歌舞伎、能、狂言、人形浄瑠璃)のもっとも初歩的な鑑賞法。古典芸能五つの原則と、劇場での五つの心得、あわせて「十か条のご誓文」です。順にご紹介しましょう。

古典芸能五つの原則
五つの原則を語る前に、ふたつの大前提を。
ひとつめは、日本の古典芸能はたった四つしかないということ。能、狂言、人形浄瑠璃(文楽)、そして歌舞伎です。そしてこの四つの古典芸能は、すべて江戸の中期に完成されたものです。これが前提の1。
もうひとつは、それそれの演目に「時代の特殊性」と「時代を越えた普遍性」を兼ね備えているということ。たとえば源氏物語なら、 特殊性とは御簾で顔の見えない女性を和歌で口説くというようなことです。現代人には理解しがたい行動です。また普遍性とはそこで展開される恋愛感情です。これは現代人も容易に理解できます。特殊性と普遍性をもっているから、古典芸能の生命は長いのです。これが前提の2。

さてでは、五つの原則をご説明しましょう。

①日本の古典芸能は「固有の劇場」をもつ。
日本の古典芸能は、そのジャンルに固有の劇場をもっています。能や狂言は冥界に続く「橋懸かり」が、文楽は二重舞台、そして歌舞伎には花道とせり上がり(まわり舞台)が必要です。西洋の演劇と比較するとよくわかりますね。日本のそれは、専用の劇場で演じられることを原則としている。

②日本の古典芸能は「女形」が存続している。
本来、演劇とは神に捧げるものですから、女性は演じることができませんでした。だから、女性の訳も男性が演じてきた。つまり「女形」です。これは、歌舞伎だけではなく、ギリシャ演劇も中国の京劇も、インド劇もそうでした。
しかし近代合理主義が、世界各地で「女形」を消滅させていった。けれど、日本の古典芸能だけは、女形というすぐれた技能を残すことになったのです。能楽も文楽も歌舞伎も、女性を演じるのは皆男性です。

③日本の古典芸能は「仮面劇」である。
能は面をつけて演じます。歌舞伎は白粉を何重にも塗ったり、隈取りをしたりして素顔を隠します。人形浄瑠璃ははじめから人形なので、言うを待ちません。
芸能は、神に捧げるものなので、仮面によって人格を変えました。
表情で演じることを禁じられた演者は、全身でオーラを出して、感情を伝えなければなりません。そこに「芸の方法論」が創られたそうです。

④日本の古典芸能は「語りもの」である。
古典芸能は、すべて過去の出来事を後世の人に語るという作りになっています。

⑤日本の古典芸能は「芸の方法論」で演じる。
女性の役を男性が演じていること、表情ではなく仮面で演じていること、これらの障害を逆手にとった方法論が確立されました。
現代劇にはそうした障害がないので、演じ手のキャラクターに頼ることができますが、古典芸能は「自分というものを楽屋に置いてきている」そうです。
その方法論でおこなうと、太い男性の声で外股の役者が、ある瞬間女性そのものになることもあるそうです。

劇場での五つの心得
さて、次は初心者が古典芸能を楽しむための五つの心得です。

①頭を白紙の状態で見ること
解説書やイヤホンガイドはほどほどに。
イヤホンガイドでは、現実に目で見ているものと違う情報を、耳から覚えてしまった人もいたそうです。
ふつうの日常感覚で見て、「サプライズ」を大事にしたいものです。

②物語くらいは知っておいたほうがいい
かといって、まったくこれから始まる演劇を知らないというのも不安です。
そこで早めに席についたら、プログラムの「物語」を読むことをおすすめします。
先生のご著書に『新版 歌舞伎手帳』(講談社)があります。
劇場までの電車のなかで、簡単な物語が紹介されています。

③ 人間本位の見方を
登場人物が何を考え、何をしようとしているのかを考えながら見ると、そのキャラクターがわかります。

④集中力をもって見る
寝るのもいいんですが、芸術は何事も集中力です。

⑤すべての意味をわかろうという意志を放棄すること
名人と言われて久しい能のシテ方が、あるとき「俺がやってきたのはこういう筋書きだったのか」とつぶやいたそうです。
またある義太夫語りは「文句をわからず歌ってきたけど、今でもわからない」と告白しました。
ことほど左様に、何百年も前の芸ですから、ずべてを理解しようというのはしょせん無理な話です。すべてを理解しないと納得しないというのは、近代人の病気です。
幼き先生の狐忠信もまた、わからなくても楽しめた、それが良かったのだとおっしゃいます。
わかろうという意志を捨てて、人間の行動を見よ、そうすればわからないことが見えてくるそうです。

以上が渡辺保「十か条のご誓文」です。先生は最後の「わかろうという意志を放棄すること」に、心なしか力をいれて語ってくださったように思います。

最後に、とても印象に残った先生の言葉を記します。
「日常から解放されるために芝居に行くのですから、勉強しようという気持ちだけではなく、ぼんやりすることも大切にしたい。それで、もしつまらなかったら、一幕で帰ってきてもいいではないですか。つまらないものにつきあう根拠は何もありませんよ」

深いけれど、とても優しい先生のお話し。これで、古典芸能を観に出掛けるのが少し楽になりますね。ありがとうございました。

歌舞伎の見方 (角川選書)

渡辺 保 / 角川学芸出版

 

新版 歌舞伎手帖

渡辺 保 / 講談社

 

江戸演劇史(上)

渡辺 保 / 講談社