日時:2010年6月8日(火) P.M.7:00開塾
場所:銀座 くのや
Text by kuroinu
歌舞伎を観に行くと劇中客席から大きな声の掛かることがあります。「なかむらやぁ〜!」とか「なりたやっ!」とか。あれね。初めての人はちょっと驚きます。
ミュージシャンやアイドルのコンサートでも、大相撲やプロ野球でも、観客が好みのスターに声を掛けることはある。けれど、この場合、ステージや土俵やフィールドにいるのはその人(ミュージシャンや相撲取り)自身ですから、その名前を呼ぶ(叫ぶ)ことに違和感など起こりえませんね。しかし、演劇の場合はちょっと違う。舞台の上に立っているのは、その人(役者)自身ではありますが、別の人(劇中人物)になっている。だから、演劇公演で役者の名を呼ぶ(叫ぶ)のは、考えてみると、ちょっと妙なことじゃないか。
ところが、歌舞伎ではそれがちっとも妙じゃない。なぜでしょう?
和塾六月のお稽古は「大向こうの人」。歌舞伎座で大きな声をあげているその人のお話し。お招きしたのは、歌舞伎大向弥生会の樽屋壽助先生であります。
樽屋壽助先生
お話しは、壽助さんがそもそもどうして「大向こう」になったのか、そんなところから始まりました。
壽助さんの歌舞伎歴は、小学校に上がったばかりの頃、父上に連れられて出掛けた歌右衛門の四谷怪談が始まり。劇場ではじめて声を上げたのは25才の頃とのこと。大のお気に入りだった中村又五郎さんの名演に、思わず上げた「播磨屋ぁ!」が大向こうはじめ。それ以来、足繁く劇場に通った壽助さんは、頻繁に声を掛けるようになりました。数年経ったある日。いつものように声を掛け終えた壽助さんは、年長の男性に呼びかけられたのです。この人が歌舞伎大向弥生会の幹事。連れられて紹介されたのが弥生会の会長さん。それから1年ほどの試用期間?を経て、壽助さんはめでたく弥生会の会員となったのです。
劇場で役者に声を掛けるのに特別な資格はいりません。誰でも掛けて良い。ただし、正式な?「大向こうの人」となるには、大向会に入会する必要があります。東京の大向こうの会は3つ。弥生会・寿会・声友会。そのいずれかの会員だけが、大向こうの人、というわけ。それ以外で声を上げている人は、まあ、歌舞伎好きで掛け声好きの、ただのお客さんということですね。で、その大向会(弥生会・寿会・声友会)への入会は、前述のように、正会員からのリクルートを待つしか入会の方法がないというのですから、厳しく貴重なポジションなんですな。
こうして「大向こうの人」になると、良いことと大変なことがあります。木戸御免、つまり入場無料でどんな公演にも入ることが出来るのが良いこと。月に少なくとも10回以上は劇場に行かねばならないのが、大変なこと。会員には入場証や通行証が与えられるので、これを見せれば劇場には出入り自由になります。一方で、歌舞伎座や演舞場や国立劇場での公演に大向こうが誰も出ていない、なんてことはまずいですから、会員は時には2〜3の劇場を1日で駆け回るなんてこともあるようです。その上、多くの役者が大向こうの方々の声を把握していて、休みがちなのがばれていたり、声がけのタイミングを指摘されたり。無報酬の大向こう、好きでなければつづきません。
これで木戸銭御免の通行証と入場証
壽助さんによると「大向こうは薬味なんだ」ということ。例えば刺身。新鮮で良い素材なら、刺身はそれだけでも旨い。けれど、そこに良いわさびがあれば尚旨い。そのワサビがあの「中村屋ぁっ!!」なのですね。
このお稽古があった後、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に出掛けたのですが、若手中心の公演だったこともあり、大向こうの掛け声が一切なかった。それがなんとも淋しいのですね。ワサビのない刺身。掛け声がなくても歌舞伎の公演は成立するのでしょうが、どうも間抜けな印象です。大向こう、今では歌舞伎という芸能にしっかり組み込まれたパーツとなっていることを再確認したものです。
お稽古は、お話しの後の実演がさらに盛り上がりました。くのやの座敷から響き渡る「大向こう壽助」の粋な掛け声。閉場した歌舞伎座にも届いていましたかね?
動画と音声を収録しましたので、以下に少しご紹介しておきます。
「はりまやぁ〜!」
「まつしまやぁ〜!」
和塾のお稽古にもお招きした渡辺保先生が、次のようなことを記されています。「現代劇では、例えば杉村春子が『欲望という名の電車』のブランチ・デュポワを演じるとする。ブランチ・デュポワが実は杉村春子であること、日本人であることはかくさなければならない。観客がそれを知っているというのはホンネにすぎない。タテマエからいえば、現代劇ではあくまでブランチ・デュポワその人でなければならない。それが近代劇の発明したリアリズムの思想である。
ところが、能(や歌舞伎)ではまさにそこをかくさない。手品はタネもシカケもわかれば手品ではない。しかし能(や歌舞伎)ではタネもシカケもわかっている。能(や歌舞伎)が手品と違うのは、タネやシカケによる錯覚で人をだますのではなく、タネもシカケもあきらかにしてなおそこに成り立つ幻想こそが真実だからである。この幻想にしてかつ真実であるものをつくるのが、能(や歌舞伎)の芸であり、その芸を行うのが能役者(や歌舞伎役者)の身体である。」
つまり、日本の芸能における「芸」と西洋演劇・近代劇の「演技」は別のものである、と。日本の「芸」は、演技者自身の身体を通して物語の登場人物をイメージすることが可能なものであり、演技者自身はその実態を隠してしまう現代劇とは異なるものなのだということです。だから、歌舞伎の舞台の上に立っているのは、例えば、忠臣蔵の大星由良助であると同時に中村吉右衛門でもあるというわけ。
歌舞伎の大向こうが、劇中人物の名ではなく、役者の名(屋号や在所)を呼んでも妙じゃないのは、それが日本の「芸」だから、というわけなんですね。
日本の文化というのは、まことに独特の素敵な存在なのだ、って、またまた気付かせてくれた「大向こうの人=壽助さん」のお話し。たっぷり堪能いたしました。壽助さん、ありがとうございました。
この次は、「大向こうの人と観る歌舞伎鑑賞会」でご一緒できればと思います。