ー江戸文字〜タノシイ書道ー橘右之吉先生 第三十三回和塾

日時:2006年12月12日(火) P.M.7:00開塾
場所:六本木 スペースニュースクール

来年の塾生の年賀葉書は朱墨で「寿」と大書したものとなりましょう。お稽古に参加した人と右之吉先生には送らない方が良いです。それ以外の方々には善し悪し不明ですから、ま、なんというか、個々の判断にお任せいたします。

橘右之吉先生をお招きして、本年最後の和塾は、人間の「才能」というものを考えてしまう人もいた、タノシイ書道のお稽古です。

橘右之吉先生

ではまず、その江戸文字の成り立ちから。江戸時代、様々な場所でそれぞれの役割を持って使われたいくつもの文字を総称したのが江戸文字なんですが、その源流は室町時代、尊円法親王による御家流まで溯ります。

以下、右之吉先生主宰の文字プロホームページから抜粋します。

京都粟田口の青蓮院門跡であった尊円法親王(1298〜1356)は、能筆で知られた伏見天皇の第五皇子として早くから書を世尊寺流の藤原伊房(これふさ)や行尹(ゆきただ)に学び、さらに南宋の張即之の書風を加えて、和様の穏やかさと中国風の力強さを併せ持った書風「青蓮院流」を創始します。調和のとれた実用の書は、「御家流」と呼ばれ広く一般に定着してゆきます。御家流の名は、父 伏見天皇より「伝えて家の流れとせよ」とのお言葉を賜ったのが由来と言われています。
徳川幕府は早くから、我流の崩した書き方の書簡から起こる争いを予測し、読み間違いからくる事故を避けるため、御家流(青蓮院流)を公用文字とし、高札や制札、公文書の書法として統一をはかります。御家流は実用の書ゆえに、手習い所(寺子屋)の手本としても多く採用されたことで大衆化し、あっという間に全国に浸透していきました。御家流の文字は庶民の手に渡ると、それぞれの職域で独自の発展をとげ、江戸町文化を彩る書体とり、「官」「公」の書とはあきらかに違った、街の香りのする「町人の姿」に変化してゆきます。芝居文字、寄席のビラ字、相撲字、町火消しの加護字など、それぞれの職域独自の文字に工夫され、江戸文字は百花繚乱の春を迎えるのです。

こうして独自に発展した江戸文字には、皆さんご存じの勘亭流(=芝居文字)や根岸流(=相撲文字)、寄席文字、篭文字(かごもじ)、髭文字(ひげもじ)、提灯文字などが含まれているのです。

写真左から、勘亭流・根岸流・橘流寄席文字・籠文字

この中から特に、右之吉先生が継承されている寄席文字について、文字プロホームページから以下転載します。

寄席文字は、ビラ文字がその起源です。寛政3年(1791)、岡本萬作が寄席場である議席を開き、寛政10年(1798)に、神田豊島町藁店に「頓作軽口噺」の看板を掲げ、風呂屋や髪結床など人の集まるところにビラ、すなわちポスターを貼って宣伝を始めました。これが寄席、そして寄席ビラの始まりといわれます。
天保年間(1830〜1844)、神田の紺屋職人、栄次郎がビラ固有の書体の元を作り、この書体はビラ清こと粟原孫次郎に伝わり、孫次郎の二人の息子、二代目ビラ清、初代ビラ辰を経て、二代目ビラ辰の登場で一時代を築きます。が、震災、戦災による被害を受け、ビラ字の伝統は一時跡絶えてしまいます。

右之吉先生の師匠・橘右近氏は柳家竜馬と名乗っていた噺家時代に、二代目ビラ辰のところへよく使いにやらされ、その独自の書体に魅せられてビラ字の習得に励み、昭和24年(1949)、ビラ字の伝統を残すべく噺家をやめて書家専業となりました。以来工夫・研鑽を重ね、独自の文字、寄席文字を完成させます。昭和40年(1965)に、それまでのビラ字の名を改めて「寄席文字」と名付け、八代目桂文楽師匠の薦めにより「橘流寄席文字家元」となり、啓蒙に勤め、門弟を育てて今日の隆盛を築きました。

寄席文字の特徴は、すき間余白なく紙面いっぱいに書くことと、常に右肩上がりの筆勢。客席がいっぱい満席になることと、興行の売上や評判がいつも良くなることを表した書体なのです。たいそう縁起の良い文字ということですね。

さて今回のお稽古では、塾生諸氏橘流の寄席文字にて「寿」の字を教わりました。

江戸文字は所謂書道とは筆の持ち方が異なります。筆の腹をいっぱいに使うのが江戸文字ですから、筆を立てて筆先だけを紙につけるようなことではいけません。人間の腕の動きに対応して紙は斜めに置き、筆は寝かせ持つ手を机上につけて書く。緊迫感溢れる書の道とはまったく趣を異にする大らかな姿勢であります。

右之吉先生によれば、書とは本来自由闊達なもの。楽しめることが一番なのです。だから、文字の書き順は「手が汚れない順で」、線を太くするためには「二度書きでもよろしい」、使う墨は墨汁で充分「お稽古のはじめに二十分も墨を摺るなんてナンセンス」とのこと。
おかげで今回のお稽古は、とても楽しく和やかなひとときとなりました。

まず先生のお手本をじっくり拝見

そして各自書き始めるものの・・・

当然ながらそう簡単ではありません

何度も書いていると、ま、それなりに格好のつく人もいます

達人による個人教授  贅沢なことです

ん〜、まあ、なんだかねぇ・・・

これがお手本の「寿」

幸いなことに、本物の江戸文字を知る人は少ないのだから、皆が賀状に今日のお稽古の「寿」を書いても、恥をかくようなことはないでしょう。と、右之吉先生からお許しをもらって、平成十八年最後の和塾もお開きとなりました。

皆さまお疲れさまです。良いお年を。

橘右之吉(たちばなうのきち)
橘流寄席文字・江戸文字書家
橘流寄席文字家元・橘右近師匠に師事し、伝統的な文字の習得に励み、66年正統な一門伝承者として認められ「橘右之吉」の筆名を認可される。
以来、国立劇場や国立演芸場などで多くの筆耕に携わる。寄席、千社札、奉納額、招木などを中心に活躍。大江戸温泉物語ロゴ、浅草寺本堂の奉納大提灯、板東三津五郎襲名披露招木など。04年には中村勘九朗(当時)のニューヨーク公演にも同道。05年の勘九朗改め十八代中村勘三郎襲名披露歌舞伎公演に際し、各劇場で襲名披露招木を揮毫作成している。

右之吉先生揮毫の「和塾」色紙