ー神社~浄められた秘密ー外山晴彦先生 第七十三回和塾

Text by miyaben
都会であろうが田舎であろうが、およそ人が住んできた地域で、神社がないところはありません。
それほど日本人にとって、神社はなじみの深い文化的所産といえます。
しかしなじみはあっても、鳥居や狛犬などについて、あらためてその意味を問われると戸惑う人も多いのではないでしょうか。
とくに都会人にとって神社は、正月に、今年もよろしくと挨拶にいく場所、いわば「安心の免許更新センター」くらいにしか考えていないのでは。

外山晴彦先生

というわけで、今回の講師である外山先生に、誰でも知っているけど、誰もが知らない神社の素朴な疑問について教えていただきました。

1、どうして首のないお地蔵さんが多いの?
地方の鎮守の杜などに行くと、首のないお地蔵さんをよく見ます。
集落の悪ガキがいたずらをしたのだろうくらいに考えていましたが、いわれてみると、その多さは異常です。
首のないお地蔵さんの背景には、明治政府が発令した「神仏判然令(1868)」を契機とした神仏分離施策があるそうです。
神社とお寺は、江戸時代には同じ境内にあるのがふつうでした。神仏習合・神仏混交です。
今でもお寺の隣に神社があるという風景がよく見られますが、それはもともとはひとつの境内だったものを、境界をつけて分けたということだそうです。
明治政府が「国家神道」を普及させていくなか、混沌としていた神と仏を分離しようとし、それに呼応して過激な一派が、仏教的要素のあるものを廃するという暴挙に出ました。
それが「廃仏毀釈」と呼ばれるもので、境内のお地蔵さんの首は落とされ、川にも流されたそうです。
ここで、気がつきましたが、お地蔵さんは仏さまなのに、神社の境内に立っていることもありますね。これもまた神仏が混沌としていた頃の名残なのでしょう。

2、鳥居の形はどうしてああいう形をしているの?
小泉八雲がまるで漢字だ、と表現した鳥居の形ですが、その起源説はいろいろあるようです。
外山先生はしかし、そんな遠くに起源を求めるよりも、境内の入り口を作ろうと考えれば、自然にこの形になるでしょ、ときっぱり。
二本の柱を立てます。それだけでは不安定なら横棒をわたします。それでも不安定ならもう一本横棒を足します。ほら、鳥居ができた! というわけです。
鳥居は境内の入り口、つまり俗界から聖界へと入る目印です。
そこをくぐって、神聖な世界に入るのであって、鳥居自体が神聖であるわけではない、とおっしゃいます。
鳥居の型は、先生のHPの判別法がとても面白いですよ。
→http://www3.alpha-net.ne.jp/users/enocky/content/02-01.html
3、狛犬と唐獅子、どっちがどっち?
狛犬と一言でいいますが、正確には、狛犬と唐獅子の一対だそうです。
本殿に向かって参道を歩くとして、右側が唐獅子です。ライオンを祖型とし、口を開いている、いわゆる「阿形」です。
そして左側が狛犬。犬のようです。なかには頭に角が一本生えているもののあります。これはサイの角をイメージしたものといわれています。サイの角は万能薬とされされています。狛犬は、口を閉じた「吽(うん)形」です。
ちなみに唐獅子狛犬は、本殿の扉や御簾(みす)が閉じないように置くドアストッパーの役割だったようです。時代によって、だんだん本殿から離れ、いまでは参道にいて、参詣者を見守るガードマンのようになっていますね。

唐獅子

狛犬

4、神社は左側上位?
神社思想では、右よりも左が「エラい」。
本殿から参道を見て、左側が唐獅子。だから右の狛犬よりも唐獅子が上位。
しめ縄を捧げるときも、神様から見て左側、人からみて右側に太いほうが来るように捧げる。
天皇陛下、皇后陛下の御真影もこの習慣から向かって右が天皇、左が皇后とされていましたが、なぜか大正時代に逆にせよというおふれが出ます。
また、そのときからおひな飾りの男雛と女雛の位置が逆になって今のような並びになったようです。

5、石灯籠って何のためにあるの?
日本に灯籠が移入された時代には、すでに「照明具」ではなく、献灯のためのものでした。
境内にある灯籠は、「春日灯籠」といってほとんど正解ですが、灯明を入れる「火袋」の窓には、日、月、星を表した模様があります。
偉大なる灯明は、日月星であるという思想です。

石灯籠と鳥居

6、神殿のなかに何があるの?
お賽銭を入れて、拝みます。
そこは「拝殿」と呼ばれるところです。
神社のもっとも重要な中心部分である「神殿」は、そこではありません。
拝殿の背後にちんまりとちいさいお社があります。それが神殿で、神様がいるところされています。
お寺には仏像という本尊が安置されていますが、神社にも神像というご神体があるのでしょうか。
神像もあることはありますが、かなりまれだそうです。
そもそも多くの神社のご神体は、自然石や山といったものです。そのため神殿には神のよりしろとなる鏡や御幣(ぬさ)を置くことになります。
仮に神像のようなご神体を安置したとしても、滅多に開けない神殿では、カビやネズミなどでぼろぼろに破壊されたのだろうということです。
お寺と違い神社は、偶像を崇拝する傾向が低いようです。

ほかにも興味深い話がいっぱいありましたが、どうぞ先生のHPをご覧ください。
在野の研究者として、自由にものを考えるという大切な姿勢も、塾生一同感じ入った2時間でした。

どうもありがとうございます。

<神社・石仏探索家>
外 山 晴 彦(とやま はるひこ)
1941年、東京生まれ。疎開して群馬県高崎市で育つ。
群馬県立高崎高等学校、早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業
東京図書株式会社営業部、のち雑誌の取材・編集・企画を経てフリーライター。
神社ウォッチングという趣味を創始。神社ウォッチングの会会長
http://www3.alpha-net.ne.jp/users/enocky/

主な著書
・「神社ふしぎ探検」さきたま出版会 1999年
・「神社ウォッチング」東京書籍 2000年
・「ポイントがわかるマナー手帳(共著)」西東社 2002年
・「野仏の見方」小学館(ポケットサライ) 2003年
・「神社のことがよくわかる本」東京書籍 2008年

 

神社ウォッチング

外山 晴彦 / 東京書籍