ー草月流生け花ー小池萩霞先生 第三十四回和塾

日時:2007年1月16日(火) P.M.6:30開塾
場所:赤坂 草月会館

平成19年和塾最初のお稽古は生け花。
東京赤坂・草月会館に集った和塾の面々、日頃のペンやマウスを鋏に持ち替えて、生け花との悪戦苦闘の始まりである。

今回の講師は、草月流本部講師・草月会評議員・草月指導連盟師範会理事・いけばな芸術会特別会員・イケバナインターナショナル会員の小池萩霞先生。穏やかに丁寧に明るく分かりやすくお話してくれる女性です。いつかこのような大人になりたいものであります。

小池萩霞先生

先生の日常は、「着物を着て正座して活けていると思われる方も多いのですが、実際には力が相当に必要ですし、色んなお花や枝を持ち運ぶのでパンツルックで走り回り、汗もかいて、一流ホテルのロビーやデパートなどで大きなお花を活けています。」とのこと。
であるからして、「今日も立って、活けていただきます。」です。

「生け花の歴史」
生け花は、もともとオリジナルの日本文化で大陸から来たものではありません。八百万の神にお榊するために、常緑の植物、例えばお正月の松を飾る。仏に手向ける。平安時代まではこのように仏前の供花(供花)として存在しており、作法・形式のようなものはあまりなかった。

鎌倉時代に入り、三具足(みつぐそく)と言われる、香炉(こうろ)、供花(くげ)、燭台(しょくだい)の形式が定型化してきた。ここで供花から立花(たてはな)へ移行してゆく。花のための焼き物、器も現れる。伴って、花を立てるための仕掛けが必要になってくる。

室町時代には立花が定型化し、池坊流の祖・池坊専慶(いけのぼう せんけい)が現れた。池坊専慶は室町時代中期の京都頂法寺(六角堂)池坊の僧侶。(池坊の坊名は、聖徳太子が水浴したという池にちなんで名付けられたものらしい)専慶は非常に立派で豪華な花を活ける名人であった。池坊は著名となり、足利将軍家で花を立てた。

美意識には常に反発、反作用のようなものがある。室町の立派で豪華な立花に対して、安土桃山時代には侘び、寂びを重んじる茶室の花、茶花(ちゃばな)が生まれた。

江戸時代に入ると、池坊専好(いけのぼう せんこう)が現れ「立華(りっか)中興の祖」と言われた。もともと僧侶が行っていた花を、時代が経るに連れ将軍が、やがて武士が行い愛で、町人の富裕化に伴い市井の人々も行うようになった。「生花(しょうか)」【華道の池坊で、生花(せいか)のこと。立花(りっか)を簡略化した小花(しょうか)であるとして「しょうか」と呼ぶ(大辞泉)】、「文人花(ぶんじんばな)」などの名称が生まれたのもこの頃。

明治時代に入ると、ようやく女性がいけばなを始めることになる。盛花(もりばな)という花瓶ではなく「水盤()浅い器)と「剣山」を用い、花を立てることが容易になり、また、水盤は単なる器を越え、自然のたたずまいを表すように、いけばなの一部となる。

昭和に入り、勅使河原蒼風(てしがわら そうふう)が、形式に捉われない「いけばな」である草月流を創始する(昭和二年)。これをもって、「いけばなは床の間から解放された」(蒼風)のだ。 戦後、いけばなは広く全国に普及した。戦後の未亡人の生活をいけばなが救ったとも言われている。いけばなを学んだ未亡人がいけばな教室を多く開講したことが知られている。当時のいけばなは、器も形式も生けるものでさえ自由という考え方だったようだ。例えば、焼け野原のパイプに一輪の花でも良いではないかという考え方である。また、マッカーサーが在留米国人の夫人にいけばなを勧め、蒼風も教えていた。
日本の外務省では、外交官夫人が外国に駐在する前には、草月流のいけばなを学んで行くことが伝統的に続いている。
その後、いけばなは世界中に広がり、「IKEBANA」という単語でも知られるようになっている。昨年で50周年を迎えたIKEBANA INTERNATIONALのコンベンションは世界170支部から多くの参加者が集まり美智子皇后の来臨もあり、日本文化ブームを支える一因となっている。

小池萩霞先生

草月流は今年、80周年を迎え、3月8日から日本橋高島屋での四代目、勅使河原茜(てしがわら あかね)の「勅使河原茜点 私の花」など各種の催しものが企画されている。草月流は世界で初めて、日本語・英語併記のテキストを標準としているので世界中で使われている。
いけばなの流派は、看板を掲げれば誰でも始めることができるので、その正確な数字は分からないが、千を超えるものと思われる。また、いけばな人口は今日集まった初めての和塾のメンバー12人を入れて100万人を超えていると推定されている。
草月流により、いけばなは今や日本だけでなく世界へ、床の間からホテルロビーやエレベータホール、デパートやキッチン、リビング、トイレ、玄関に至るまで広がり、表現方法も大きく広がっている。

草月流の祖、勅使河原蒼風(てしがわら そうふう:1900〜1979)は軽快でモダンな作風。蒼風の長女、二代目の勅使河原霞(てしがわら かすみ:1932〜1980)はミニアチュールという極小のいけばなや、枯れもの、着色素材を駆使した繊細な作風だったが47歳の若さで逝去。蒼風の長男、三代目勅使河原宏(てしがわら ひろし:1927〜2001)は映画監督としても有名で、国外では韓国の国立現代美術館や、イタリア、ニューヨークなど、さまざまな場で竹を自在に使った大規模な個展を開催し、いけばなの枠を超えた作風で、陶芸や書にも才能を発揮した。現在の家元は宏の次女の勅使河原茜(てしがわら あかね:1960〜)は華やかな作風で、舞台美術やクリスマスツリーや各種のデモンストレーションなどにも活動範囲を広げている。

お稽古はここからいよいよ実技となる。

「基本立真型・盛花」(きほんりっしんけい もりばな)
今回使ったのは、桜の枝を三本、菜の花を三本。
春の花を用いた今日の実技、その基本は「不安定の美」を目指すということ。
用意された水盤には、その左手前に剣山が置いてある。(何で?と思う間もなく、指導が始まった)

1)まず、自分で「一番、立派だなぁ」と思う桜の枝をを一本選ぶ。これを真(しん)と呼ぶ。
2)それを、器(水盤)の直径と高さを合わせた分の2倍の長さに切る。(下から10cmの枝は落とす。)
3)真を剣山の後ろの方にしっかり刺し、気持ち分、少し手前左に傾ける。(枝の切り口は斜めに。切り口が向かって後ろを向く。切り口に鋏で十字に切れ目を入れる。剣山の針の間にしっかり挿す。)→この時点で、真の枝振りがどうしても右に反ってしまうように活けた事に気づいたが、メモを取る時間もあり、修正を断念。とほほほ。

4)次に「二番目に立派だなぁ」と感じる枝を取り、これを副(そえ)と呼び、真の四分の三に切る。
5)副を真の斜め左手前に左肩に向け、手前45度程度に傾けて挿す。→筆者の場合、この副の枝が大きく二本に分かれており、かなりとうるさい感じになって、またまた大反省。
6)菜の花を副の二分の一に切り、真の斜め右のあたりの剣山に右肩に向けて75度に傾けて挿す。(菜の花は、水の中で徐々に切り落として長さを調節する。水の中で切ることで、水を吸ってくれ長持ちする。これを「水切り」という。)この菜の花をこの形の中では控えと呼ぶ。これで一応の、基本立真型の骨格が現れる。→骨格が現れる「筈」なのだが、その骨格が乱れているわが作品に不安倍増。
7)二つ目の菜の花を真の手前に挿し、自分のおなかにまっすぐ向かうように活ける。
8)三つ目の菜の花は真ん中から垂直に活ける。(→とおっしゃったと思う。メモと実技と不器用の三重苦により対応不可能になりつつある。誰だ、俺にブログも書いてねと言ったのは!と、自分で引き受けて安請け合いしたことを激しく後悔。)

9)従枝(じゅうし)として、三本目の桜の枝を(確か副と同じ長さで)、真の真後ろに垂直に活ける。この従枝は立体感に大変に重要。
10)残りの菜の花で剣山を隠すように、さりげなく活ける。但し、けっして水に葉が着かぬようにする。葉が浸かると水が悪くなる原因となる。
11)最後に水の上のごみや、水盤の周りをきれいに掃除する。水も魅せる。自然の一部としての水をきれいに魅せるのも大切な生け花の心。

美人助手の二名の方に助けられ和塾の塾生全員が無事に、それなりの作品を活けることが出来たような気がする。一部、遅刻して美人助手一人を独占気味の塾生に、お稽古後の懇親会で非難ごうごうとなる。いくら初めてで出来が悪くても、かなり達成感もあるし、結構見られるジャンと激しく自分を誤魔化しつつ、最後に写真撮影して、実技の終了。その後は、桜と菜の花をしっかり包んで、「自宅に持って帰ってください。花瓶があったらぜひ、いけてください。」との先生のお言葉を聞きながら、後片付け。

その後の質疑応答。
●「どのくらいで師範になれますか」
もちろん、個人差はあるが基本形が80あり、一通りレッスンを受けるのに半年。その後、テキストを見ないで出来るようになるのに一年で、師範となる、「結構、短いものでしょ」と先生の励ましの言葉。
●「花瓶や水盤はどんなものが良いですか」
基本は、モノトーン。白、黒、グレイが良い。避けたほうが良いのが花柄。お花が引き立つように。
●「剣山の位置は」
今回は左手前ですが、型によって剣山の位置も違います。傾真型という型では向かって右の後ろとなる。手前や後ろに剣山が寄るのは水も魅せるという考え方による。従って、水の上のゴミはご法度なるも、桜の花びらが自然に水の上や、テーブルに落ちているのは風情があるので、片付けない。
●「剣山が重ねてあるのは」
(丸い剣山の上に、三日月の剣山が伏せて重ねてあったのだが)これはお花を傾けて活けるので、重みを持たせて、お花と剣山が倒れないようにしている。
●「剣山はいくつ使ってもよいのですか」
いくつ使っても良いですが、剣山が見えないようにする基本を忘れずに。ちなみに、剣山は丸、四角、三角、長方形、と形も色々だし、針の長さや密度も多様にある。丸と三日月の組み合わせは基本的だし、一緒に並べて使うことも出来る。
●「お花の数は」
四本を嫌う方がいるので、三本や五本など奇数になることが多い。三本の場合、池坊では、天・地・人と呼んでいるが、草月流は真・副・控えと呼ぶ。
●「使う花、使わない花は」
なんでも使うが、葬式には白い菊など使い、派手な色は避ける。ウエディングも白い花だが菊は使わない。洋花も使う。チューリップでも蘭でも。椿は落ちるから、藤が下がるから、昔は証券会社とかで嫌がられたが最近の若い担当者は知らないので気にしていない。
●「家で活ける際のコツは」
水切りで長持ちさせる。水に葉を着けるとバクテリアが増殖しやすいので避ける。できれば毎日、水を変える。実は、水道水が塩素が入っていてベスト。ガラスの器だったら、キッチンハイターをちょと入れると長持ちする。
3つの要素に気をつける。それは「線」「色」「マス」。お花を選ぶときに色とか形の違うものを選ぶと良い。もっとも色数が多過ぎるのもまとまらないので、同系色でまとめやすくしても良い。アクセントカラーとしてお奨めは黄色。一番、華やかになるし、どんな照明の下でも色がきれい。形は、不等辺三角形を作るようにする。敢えてアンバランスにする。日本建築とか庭園には左右対称は無く、非対称、アシメントリーが基本。左右対称だとフラワーアレンジメントになってしまう。雑草も活けてよいが、切ると意外に弱いので水を含んだ新聞紙ですぐ包んで持ち帰る。あと、水を切らしても風を当てるな。自然な風も良くない。日照りも良くない。水が温まらないようにする。氷を一個入れたりしても良い。さっと、ぱっと活けることも大事。
●「世界でも色んな花がありますか」
国によって枝は余り売っていない。世界中に一番あるのがバラ。
●「花でメッセージを送ることができますか」
もちろん、ハート型にしたり、水引きを付けたり、お正月の松だったり、松竹梅が目出度いという意味が出てくる。初代の蒼風に「花は活けたら人になるのだ」という言葉がある。昔は警察官が地元を廻って、玄関にお花が活けてある家庭は事件を起こさないと言われていた。
●「色んなテクニックはありますか」
少し曲げたりすることもある。(と、先生はその場で桜を曲げてみる。「桜は大変、曲げやすく折れにくいので、このように曲げて風情を出すことが出来ます」)但し、自分は「これ見よがし」「窮屈」「可哀相」という風に思われたら駄目だと思う。美しく見えるのがベスト。
●「最後の修正をすることがありますか」
引き算の美学なので、生徒さんの迷って最後に足したものを思い切って取ると良くなることが多い。(→僕の作品の、最後の修正に数本抜いてほしかったなぁ)その際には五感で活けるとも言う。よく観る。手で触る。匂ってみる。音を聞く。(本当は味わってみるべきだが生け花用の花には農薬が多いので、菜の花も食べたりしたら駄目。)
●「季節のよって違いますか」
日本では春は黄色から始まる。菜の花、マンサク、たんぽぽ。そして、ピンク色になる。桃や桜。
ということで黄色とピンクで日本人は春を感じる。(→まさしく、今日の素材ですね。)冬はつぼみの硬い椿とか、山茶花。お正月は松。などという風にその季節らしいものがある。
●「いけばなってなんですか」
神仏に手向けていたのが、その後将軍とかのために活けるものとなり、現在は「もてなし」だと思う。そして自分のための達成感ということもある。
いけばな、は「引き算の美学」「不安定の美学」「動きを魅せる」「空間を感じさせるもの」である。

やはり、生け花もお茶や日本庭園と同じ、引き算の美学、ミニマムの美学があるのだと改めて思った2時間は(自分のお花の出来は全く別として)とても有意義でした。この場を借りて先生と草月流のみなさまと幹事の方々にお礼を申し上げたく存じます。
草月会館では毎週、金曜日に2時間ほどの男子専科もやっているのでご興味のある方は、やってみたらどうでしょう?と思った草月流のお稽古でした。

草月流の公式HPは下記です。
http://www.sogetsu.or.jp/