世話人漫筆

古典への外圧〜杉本の挑戦

海を感じると、馬鹿げた暑さも少し許せるもの。港を臨む横浜山下公園近くに今年はじめ開館したばかりの神奈川芸術劇場に出かけました。「杉本文楽」の鑑賞です。

演目は「曽根崎心中」。近松門左衛門の作品で、名称ばかりはどなたもご存じのお話し。原作を読んだことも、劇作品を見たこともないのに、みんながその題名を覚えている不思議な作品です。実はこれ、ネーミングが秀逸なんですね。曾根崎という地名に心中などという剣呑なコトバを組み合わせた。アイデアとは既存の要素の組み合わせ。その合わせが実はタイヘン難しくて、その昔、才気あふれるコピーライターが「おいしい生活」と組み合わせて喝采を浴びたことがある。おいしい+生活。出来上がってみると、ごく単純な組み合わせです。でも、お暇ならちょっと試してごらんなさい。ピタッと来る新しい組み合わせ、そう簡単にはひねり出せるものじゃない。曾根崎心中。近松の非凡な創造力が見えてきますね。「そねざきしんじゅう」。音の組み合わせがまた良くできている。サ行を連ねて、清濁でリズムをとる。見事なモノです。

さてその「杉本文楽」。こちらも上出来で大いに楽しめた。冒頭、舞台下からせり上がる三味線の鶴澤清治。復活させた初段「観音廻り」。勘十郎の一人遣い。映像と人形の共演。上手下手ではなく、舞台の奥行きを使った演出。左右に分かれた床。手摺のない舞台。杉本が撮った等伯の松林。慣れないカーテンコールに居並ぶキャスト。蓑助の両手を広げての挨拶。

それぞれが新味にあふれ、これは一種の新文楽。杉本によればそれは「古典の復活こそがもっとも現代的である」との意。客席にも文楽劇場や国立劇場には縁のないタイプの人々が集い、古典芸能の明日が見えた、とまで言うと持ち上げ過ぎか。

何より、保守の牙城たる古典芸能一座に、この新機軸を勤めさせた杉本博司の情熱に感服いたしました。いや、ほんとによくやらせたものです。伝統文化の改革は、外的問題もさることながら、内的障害によって進行しないことが多いもの。大物アーティストによる外圧的取り組みは、後につづくものに機会と勇気を与えてくれます。終演後、杉本さんには、次回「油地獄」をぜひ、とお願いしておきました。

終演後は、清々しい気分に包まれながら、歩いて中華街へ。久しぶりの「山東」で例の水餃子をいただきました。今月、別館がオープンします、というお知らせを複雑な気分で眺めながら(手を広げて良くなった飲食店はありませんから・・・)、それでもやはりここの豆苗炒めの塩味は秀逸です。食後のお茶は、厳しい条例の神奈川を離れて都内へ。海を離れるとやはり、暑さひときわの日曜日でした。