樂茶碗と芸術と
先日の茶会で長次郎の黒を見た。といっても、それは、所謂「樂茶碗」とはいささか異なる印象で、説明を受けなければ瀬戸黒か何かと誤認するような碗。これは「道安黒」と呼ばれる作品(道安黒は二代常慶のものが知られているが、これは長次郎によるもの)で、発注者が利休ではない長次郎の樂茶碗なのだ。道安(1546〜1607年)は千利休の実子で、豊臣秀吉の茶頭八人衆に数えられる茶人。もちろん、樂家の初代・長次郎(1589年没)とも同時代の人物。その道安が、長次郎につくらせたのが、件の黒樂茶碗というわけ。それは、同じ長次郎の樂茶碗でも、美術展などで見かける「面影」や「大黒」「俊寬」(いずれも重要文化財)といった黒碗とは作行の大きく異なる造形で、利休と長次郎による碗を見慣れた者には、まるで別人がつくった茶碗に見える。
これはまさに、陶工・職人として類い希なる能力を発揮した長次郎の面目躍如たる実例だろう。依頼者の意に添って、時にはその思いを越えるようなものづくりに徹し、そうした枠組みの中でこそ、その能力を発現させ得た、最高の職人の一人。それが樂家の初代である長次郎だったのだ。
もともと、日本における創作=ものづくり、というものは、依頼者・注文主があることが普通で、それに応えて良き結果を出すことこそがつくり手の役割であり誇りでもあった。創作が作家の個人的営為ではなく、協働創作的性格を持っていたのだ。ところが、明治以降、西洋的価値基準である「アート=芸術」や「アーティスト=芸術家」という概念が闖入したことにより、その構造(協働創作による役割や誇り)に妙な雑念が生じ、日本のものづくりが、なんだか路頭に迷うような事態になってしまう。他者と供に、他者のために最善を目指す創作が、独善的な自己主張の創作へと変貌したのだ。それは日本のものづくりにとって良いことだったのか? 今では、ほとんどあらゆるものづくりの場で、「作家性」を主張し「オリジナリティ」を保持したものこそが尊ばれ、発注主の依頼に基づいた類の創作は一段低い扱いだ。個性を押し出した他に類のないものこそが「芸術」であり、「芸術家」というものは、自分の内から涌き出る創造のエネルギーに依拠する存在なのだ、というわけ。でも、それ、本当なの?
依頼者からの複雑かつ微妙な注文を基点に、驚嘆すべきレベルの結果で応える、与えられた条件下で、依頼者の強い思いあってこそ力を発揮するつくり手。歴史的には、むしろそうした創作者(職人的つくり手)の方が、質量ともに圧倒的だ。今ではすっかり「芸術作品」として、世界的にも認められる日本の創作物。運慶・快慶の鎌倉仏、桃山の狩野派や等伯の屏風・襖絵、光悦や宗達による書画や箱物、光琳や乾山の焼き物、江戸の北斎や広重の浮世絵・・・。それらは、ほとんどすべて、依頼主の注文を受けた職人による作品なのだ。個性の発揮ではなく、他者の喜びを目指すものづくりのエネルギーを低く見るのは間違いだ。それは、往々にして、浅薄な自己表現に勝り、狭量なオリジナリティを越える力を持っていること、歴史が証明しているではないか。
それともう一つ。こうした「職人的つくり手」には、意外な弱点があって、自由な創造となると途端に良い結果が出せないことがままあるのだ。広告写真では抜群の冴えを見せるカメラマンなのに、自由撮影の作品となると精彩を欠くことおびただしく、個展などに出かけると失望を禁じ得ない写真家。多くの注文や指示が複雑に絡み合った中で描かれたイラストより、自由に描いた絵の方がむしろ面白みに欠け、精度も鈍い画家。和の国・日本には、むしろそんなつくり手の方が多いのではないか・・・。なのに、多くの作家・アーティスト・クリエイターたちが、西洋的自己主張、つまり「芸術家」の創作を目指して苦しんでいる。
樂家の初代・長次郎は、個性の発揮などというある種の信仰からはまったく自由で、依頼者の思いによって大きく変貌するものづくりを実践した。他者の喜びを最大化するためにあらゆるエネルギーを動員し、その期待を越えるような創作につくり手としてのすべての能力を出し尽くす。そうした創造の果てに、結果として見えてくる長次郎らしさが、その茶碗に歴史を越える魅力を付け加えてはいる。けれど、そうした「らしさ」つまり「個性の発揮」は、長次郎のものづくりの目標としては存在しなかったのだ。彼はあくまで、陶工であり職人だったのだ。
長次郎から十五代、現在の樂家の「創作」を見るとき、そこに「芸術」とか「芸術家」の呪縛にとりつかれたつくり手の、ある種のもの悲しさを感じてしまう。
歴史の浅い西洋の自己主張の創作を離れ、自らの外にある存在を基点としたものづくりに回帰すれば、悲しい作品の数は激減すると思うのだが、どうだろう。初代長次郎の「道安黒」でお茶をいただきながら、そんなことを考えていた。