京都祇園会「山鉾巡行」 観覧と先斗町「お茶屋と川床」の宴

日本三大祭りのひとつに数えられる祇園祭。八坂神社の祭礼で、7月17日と24日に行われる「神輿渡御」と「山鉾巡行」を中心に催行されます。古くは祇園会(ぎおんえ)と呼ばれたこの祭りは、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている世界的な存在なのです。

祭事の本体とも言える「神輿渡御」は、まず、7月17日(旧暦6月7日)の夕刻に三基の神輿が八坂神社(祇園社)から京都市中の御旅所(おたびしょ)へ渡り、7日の間そこに滞在し、24日(旧暦14日)の夕刻に再び八坂神社へと還る(還御)祭事を意味している。この神輿渡御は、おおよそ平安時代の後期からはじめられたと考えられています。一方の「山鉾巡行」は、おおよそ鎌倉時代の末期に祇園会の中に登場したと考えられています。これら(山鉾)は元々「風流の造山(ふりゅうのつくりやま)」と呼ばれ、災厄をもたらす悪霊を囃して鎮め送る機能を本質とし、風流すなわち神霊を依らせる造り物や装いを特色とするものでした。

さて、和塾の祇園会観覧は、今年も還御の日、7月24日の開催。神輿渡御に先立つ山鉾巡行を拝見しました。祇園祭の山鉾巡行は、世界的に有名な行事で、一度は見てみたい祭事なのですが、いかんせん見物が苦行になることしばしば。何しろ真夏の京都の昼日中、街中の大路をゆっくりと進む山や鉾を見物するのですから、観覧は暑さとの闘いになります。有料の観覧席なども用意され、旅行代理店のツアーなどには、良席確保しています、との宣伝文句も踊っていますが、騙されてはなりません。有料の観覧席も屋根も何もない炎天下。しかも、後列の客の邪魔になるからと、日傘を差すことも許されません。通り過ぎる山や鉾、ふたつも見ればもう汗だくで、動く美術品と言われる山鉾をゆっくり拝見する余裕などまるでない悲惨な状況に陥るのです。最高峰の和文化を優雅にご体験いただく和塾の催事としては、このような炎天下での見物はあり得ない。そこで、御池通に面した老舗呉服店・おか善さんのご厚意で、その二階座敷を借り切って、空調の効いた室内から、冷えた旨酒などを片手に、目の前を進む山鉾を観覧するあり得ないシチュエーションをご参加の皆さまだけにご用意いたしました。これなら、ゆくりと進む山鉾も、汗垂らすこと無く優雅にご覧いただけます。階下の大混雑を見下ろしながら、和塾ならではの祇園祭の観覧です。

後祭の山鉾巡行は、全部で10基。以下にその陣容をご紹介しましょう。
・橋弁慶山 (はしべんけいやま)中京区蛸薬師通烏丸西入ル橋弁慶町
「くじ取らず」で、後祭の巡行の1番目に行く。弁慶と牛若丸が五条大橋で対面する場面を現している。弁慶の手足にまかれた縄は心身壮健の願いを込め、宵山に授与される。
・北観音山(きたかんのんやま)中京区新町通六角下ル六角町
「くじ取らず」で、後祭の巡行で橋弁慶山に次いで2番目を行く。真木の代わりに立てる松の木は、毎年鳴滝から2本届けられ、南観音山と北観音山の代表がクジを引いて良い方の松を選ぶ。松に飾られている鳥は尾長鳥なのだが、尾が短くなってしまったため鳩のように見える。
・役行者山(えんのぎょうじゃやま)中京区室町通三条上ル役行者町
日本に古くからある修験道を主題にした山。修験道の大本山聖護院から約50名の僧侶を招き、会所前で護摩木が執り行われる。
・八幡山(はちまんやま)中京区新町通三条下ル三条町
八坂のお祭に八幡宮を山に祭っているのは不思議だが、当時から八幡宮信仰が厚かったということが伺える。夫婦円満を象徴する雌雄の鳩が向かい合って鳥居に止まっている。
・鈴鹿山(すずかやま)中京区烏丸通三条上ル場之町
伊勢の国・鈴鹿山で人々を苦しめた悪鬼を退治した説話に因んだ山。真松には沢山の絵馬がつけられ、巡行後、盗難除けのお守りとして授与される。
・南観音山(みなみかんのんやま)中京区新町通錦小路通上ル百足屋町
「くじ取らず」で、後祭の巡行の6番目を行く。真木の代わりに立てる松の木は、毎年鳴滝から2本届けられ、北観音山と南観音山の代表がクジを引いて良い方の松を選ぶ。真松の下枝には「尾長鳥」が止まっている。
・鯉山(こいやま)中京区室町通六角下ル鯉山町
龍門の滝を登った鯉は龍になるという中国の伝説の、立身出世を意味する「登龍門」の言葉を表している山。御神体の木彫りの鯉は全長1.5mもある。
・黒主山(くろぬしやま)中京区室町通六角通上ル烏帽子屋町
謡曲「志賀」に因み、大伴黒主が桜花を仰ぎ眺める姿が表されている。山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。
・浄妙山(じょうみょうやま)中京区六角通烏丸西入ル骨屋町
平家物語の宇治川の合戦に因んだ山。筒井浄妙が橋を渡って一番乗りをしようとした時、後から一来法師がその頭上を飛び越えて先陣をとってしまった様子を表している。
・大船鉾(おおふねほこ)下京区新町通四条下ル四条町
元治元年(1864年)の蛤御門の変により一部を残し焼失。平成24年に、御神面を入れた唐櫃(からひつ)による特別な形で、山鉾巡行に復帰した。「くじ取らず」で、後祭の山鉾巡行の最後を行く。平成26年に150年ぶりに正式に巡行に復帰した。

山鉾巡行観覧の後は、恒例のお茶屋遊び。今年もまた、紹介制・一見お断りの茶屋をご用意しました。先斗町の大市と上田梅。先斗町は小さな茶屋が多いので、今年は二班に分かれてのお食事とお茶屋遊び。旨飯・旨酒に芸舞妓とのひととき。今年もまた、京都夏の風物詩「祇園祭」と花街お茶屋での和文化体験。和塾ならではの贅沢でまたとないご体験をお楽しみいただけたかと思います。