人形浄瑠璃文楽12月公演 観劇・鑑賞会

文楽・伊達娘恋緋鹿子を観に出かけました。

吉田文司さん(第59回和塾講師)は小姓吉三郎の主遣い。この作品、火の見櫓のはしごを登る人形の演出がちょっと面白い。人形遣いがいなくなるんですよ。

楽屋で休憩中の人形さん

今回は、開演前の楽屋、バックステージの様子を少し詳しくご報告します。
日曜日ということで、楽屋はいつもより人が多い。楽屋見舞いというとみなさんちょっと緊張しますが、文楽の楽屋は歌舞伎と比べると随分ざっくばらんな感じです。楽屋見舞いの対応も基本的に技芸員本人があたる。控えの部屋も数は少ない。つまり、ひとつの部屋に数名の技芸員が詰めている。人形や小道具類、舞台下駄なども通路周辺に置かれていて、雑然としている。 思ったより敷居の低い、それが文楽のバックステージであります。

では、そんな舞台裏の様子を以下にいくつかご紹介します。

まあ。そんな感じですか。

ところで、火の見櫓を登る人形の件ですが、公演後の会食で文司さんから詳しい解説がありました。仕組みは単純。櫓の内側に入った3人の人形遣いが、はしごの両脇に穿たれた隙間から腕を差し入れて人形を遣っている。ただし、通常背後から遣う人形をこの場合は正面側から遣っていることになる。いつもと逆から操る。しかも、櫓が人形と遣い手の間にあるのだから、人形遣いから人形は見えません。その上、櫓の内側には当然ですが段があって、3人の人形遣いはその段を上りながら人形を操作する。もちろん、主遣い・左遣い・足遣いの位置関係も通常とはまるで違う。ってことで、仕組みは単純ですが、その実態は、話しを聞く限りまさしく超絶テクニックな感じでした。イヤ、ほんと、これたいへんな演出だと思います。