日本文化・夏の最高峰といえば、人間国宝・一龍齊貞水の怪談噺がその先鋒でしょうか。
和塾六月最後の催事は、梅雨の晴れ間の夕刻に、赤坂黒塀通りの料亭「金龍」のお座敷に集まり、怖い噺に肝を冷やすひとときでありました。人間国宝の話芸、凡百の怪奇話とは次元が違いますね。
赤坂金龍の黒塀
会場となった赤坂金龍は、1928年初代女将の秋葉よしが花柳界として発展中の赤坂 (現在の田町通り)に創業。 戦時中女将は葉山に避難して難を逃れたが料亭は東京大空襲により戦火を受け倒壊。戦後建物を再建し1953年に現在の店舗があるみすじ通りに移転した。移転した店舗は敷地面積約100坪の木造の数寄屋建築で近代の数寄屋建築を確立した吉田五十八の弟子である石間桂造が手掛けた。建物は木と土と紙で出来ており塗装も渋柿や蜜蝋などを使用している。「無駄をなくす美学」に基づく洗練された建物は国内外からも高い評価を受けている。秋葉よしは1982年84歳になるまで女将として務めその後は秋葉冨佐江が二代目女将を引継ぎ三代目となる長女の陽子と赤坂の花柳界を親子三代で約80年にわたり見つめてきた。料亭としての赤坂金龍は2005年に惜しまれつついったん閉店となったが2009年に新業態店として再出発。赤坂の地にほとんど唯一残る木造戸建ての館は、その風情ある黒塀で当地のシンボルともなっている。
講談の人間国宝・一龍斎貞水、御年76歳にして意気軒昂
本企画の主役は一龍斎貞水先生。「講談は守るべきものと開拓すべきものがある」を座右の銘とする講談師であり、我が国最高峰の話芸で内外に知られている。
1939年東京都文京区湯島に生まれ、高校入学と同時に先代一龍斎貞丈に入門。同年五月貞春を名乗り上野本牧亭にて初高座。1966年真打ちに昇進し六代目・一龍斎貞水を襲名した。
若手講談師たちの技量向上のために湯島の自宅を開放し「講談湯島道場」を開催。その後、場所を湯島天満宮に移し現在でも若手の指導をつづけている。
文化庁芸術祭優秀賞・放送演芸大賞講談部門賞・下町人間庶民文化賞などを受賞。2002年には重要無形文化財保持者 (人間国宝)に認定。人間国宝の認定は講談界初。寄席の世界では落語の五代目柳家小さん・桂米朝についで三人目の国宝である。2005年高座50周年記念事業の一環として講談師としては初のヨーロッパツアーを行った。2009年旭日小綬章を受賞。現・講談協会会長でもある。
貞水先生の怪談噺専用の釈台
さて、その貞水先生の演目、今回は「お岩誕生の物語」でした。
お岩と言えば、あの四谷怪談の主役。四谷怪談は、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された怪談譚。江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっています。物語の基本構成は「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名。我が国の怪談の定番とされ、様々に舞台化・映画化されているため、ストーリーのバリエーションは多数存在しています。
そのお岩の誕生の秘密が語られたのですが、それがもう、本当に恐ろしい話しで。「講釈師、見てきたような嘘をつき」なのですが、人間国宝の至芸の中では、それが目前で実際に起こっているようなこととなり・・・・・。哀れなお岩の行く末を知る我々としては、まさに、涙無くしては聞けない哀話なのでした。
怖いお話しの後は、締め切られた雨戸を開け放ち、初夏の空気を感じながら、金龍のお料理に舌鼓。
いつものように贅沢でまたとない、その上たいそう恐ろしい、和塾・夏の催事でありました。