吉田玉男襲名披露・五月文楽鑑賞と赤坂口悦の宴

女から男へ。吉田「玉女」が文楽界随一の大名跡「玉男」を襲名しました。歌舞伎芝居とは異なり、人形芝居での襲名興行は、それ自体希である上、先代が人間国宝だった大名跡の襲名となると、次回はいつ体験できるか・・・。文楽ファンのみならず、和文化を愛する諸兄なら、なんとしても目にしたい貴重な機会です。

和塾でももちろん、この機会に、特別贅沢な祝宴を開催しました。お客さまは、まず、満員御礼の国立劇場で披露口上を含めた公演をご覧いただきます。公演終了後は、お車にて赤坂の最高級料亭「口悦」へと席を移し、その座敷に、舞台を終えたばかりの吉田玉男本人を招聘。昼夜舞台本番の間に劇場を離れた襲名の主役が、お客さまの待つお座敷に現れる。和塾以外ではちょっと考えられない祝いの宴です。政財界の名士だけが集う口悦のお座敷での、まさに二度と再現はできない貴重なひととき。この日だけの特別な献立によるお食事も合わせて、和塾ならではの「最高峰の和文化体験」でありました。

満員御礼の国立劇場

開演前の楽屋

吉田玉女改め二代目吉田玉男
昭和28(1953) 年10月6日大阪府八尾市生まれ。 本名は大西彰。 昭和43(1968) 年吉田玉男に入門して吉田玉女を名のり44(1969) 年4月・朝日座で初舞台。 玉女の芸名には「早う男になるんやで」という師匠の想いが込められた。入門から15年師匠の足遣いとして修業し 昭和55年からは左遣いを勤める。 初代玉男の多くの当たり役を間近で学ぶ日々を通し その芸風・芸格を受け継ぐと共に 日夜努力研鑽 その才能を開花させている。 昭和50(1975) 年国立劇場奨励賞。 55(1980) 年文楽協会賞。59(1984) 年因協会奨励賞。平成4(1992) 年国立劇場文楽賞文楽奨励賞などを受賞。平成20年・23年には国立劇場文楽賞文楽優秀賞。24(2012) 年伝統文化ポーラ賞優秀賞。25年国立劇場文楽賞文楽大賞。時代物の立役(男人形)を得意とし 品格ある芸風でしられる。 平成26年芸術院賞。
本年二代目吉田玉男を襲名。4月 大阪・国立文楽劇場 5月 東京・国立劇場において「一谷嫰軍記・熊谷陣屋の段」の熊谷次郎直実で襲名を披露。

楽屋で人形を遣う玉男さん

今回の襲名披露、劇場での口上も少し特別なものでした。口上を述べる幹部の後ろに玉男一門がずらりと勢揃い。総勢19名が居並ぶ襲名披露口上、壮観でありました。
さて、劇場を後にした和塾ご一行は、赤坂の最高峰「口悦」へ。お座敷には、お馴染みの葛西聖司さんにもお出でいただき、玉男さんのご到着まで、名調子の文楽噺。終わったばかりの襲名披露に関する楽しいお話しが尽きることなく・・・・。

赤坂口悦のお玄関

葛西聖司さんの文楽噺は、いつもの名調子で

赤坂口悦
昭和37年(1962)に開店し、「口が悦ぶように」と映画監督の小津安二郎氏から命名された「口悦」。表札は中川一政画伯の筆によるもの。かつては多く軒を連ねていた華やかな赤坂の料亭街で「口悦」は今なお残る貴重な存在です。敷地内には数寄屋造りの座敷・カウンター割烹バー・ラウンジがあり、庭の濃い緑とともに静寂さに包まれる。
政財界・映画界などの各界の重鎮が多く訪れ、女将の渡邉純子氏は50年以上もの間変わらぬ丁寧な応対を続けています。 細やかな心配りを知り尽くしているからこそ、訪れる方々に安心感とやすらぎを与えてくれる。料理人の最高の技で仕上げられる江戸懐石料理は伝統を守りながらも、あらゆる食材の組み合わせの妙でモダンな雰囲気が感じられる。季節感を大切にし四季折々の食材を日本各地に求めた献立は週替わりとなっている。

そして、そのお座敷に襲名相成った吉田玉男本人が登場

さて、そこからが、和塾ならではの贅沢で貴重な時間。口悦のお座敷に、襲名の舞台を終えた吉田玉男さんご本人がご挨拶に登場です。葛西聖司さんも「和塾でなければ、ちょっとあり得ないこと」とおっしゃる再現不能の素敵な体験でした。

口悦の設え

口悦でのお食事