没後50年・北大路魯山人展 観劇・鑑賞会

日本橋高島屋で行われている「日本・ポルトガル修好150周年記念 没後50年 北大路魯山人展」に出かけました。

Text by kuroinu
第70回のお稽古「魯山人-総合芸術の巨人」で黒田草臣先生のお話しを伺った直後ということもあり、作品が妙に身近に感じられた。人間は単純な生き物ですね。

会場には魯山人の作品200余点が展示されていました。
作品そのものに関する話しは他に譲って、せっかくですから少しばかり気になったことを記します。NPO法人和塾の一員としての私見です。

こうした展示会、多くの美術館での展覧会でも感じることですが、ともかく展示の仕方がつまらない。順路を指定してただ作品をだらだら並べているものがほとんどです。今回の魯山人展はその典型。来客を、この見事な作品世界にどう招き入れ、その素晴らしき創造の息吹をどのように伝えるべきか、なんて考察はほとんどゼロです。お仕事としてともかく陳列しました、てことですか。作品解説なども、もうまったくどうでも良い具合に置かれている。そこに何の工夫もない。もちろん、展覧会の主役はあくまで作品ですから、余計な演出は不要です。しかし、余計な演出を排除するのと、作品への愛の欠片も感じられない凡庸な展示とは別モノですよ。こうした姿勢は、展覧会のポスターやチラシ、図録にも見事に現れる。2300円の図録を購入しましたが、あまりの不様さに絶句。デザインの力を理解しない愚か者は、こうした業務から退席すべきかと思います。
魯山人が生きていたら、この展覧会は、ずべて一からやり直しを命じられたであろうと確信する次第です。

文楽の講演でも、囃子の演奏会でも、コンテンツそのものを取り巻く人びとが、もう少し工夫を加えれば、状況は変わってくると思うのですが、残念なことです。