我らが神崎宣武先生の特別講義。春のお話しは「春分と彼岸」です。会場である道往寺にて、開始時刻まもなく、先生のお話が静かに始まります。
————————————————————-
和塾・神崎宣武特別講義
日時:3月17日(火)19時~21時
会場:高輪 道往寺
講師:民俗学者 神崎宣武 先生
————————————————————-
もうすぐ春分の日ですね。お日様が真東から出て、真西に沈む。日本列島はとても長細いので、本当は地域によって微妙にちがうんですが、昼と夜の長さが同じ日なんですね。
この「春分の日」といういい方は、明治以降に、学校教育の観点から使われるようになりました。歴史が浅いのです。それまでは太陰暦だったものが、太陽暦が採用されるようになり、天文学としての見地からも、地球が太陽の周りをまわっているんだということを教えるには、ちょうどいい題材だったんでしょう。
では、昔は「春分の日」という概念がなかったのかというと、そうではなく。「おてんとうさまの日」といったのです。「お天道様」つまり太陽の運行が最も正しい日として、大事にしたのです。天文学の知識もないのに、どうやってその日を知ることができたのかは、驚くばかりですが、正確に把握していたんですね。お日様がいつものように、季節をとおして、ちゃんと昇って、ちゃんと沈んでくれることが、稲作にも、漁にも塩梅がいいのです。だからお日様に、今年も「正しく」この地を照らしてくださいね、と願いをこめて「お天道さまの迎え送り」という行事が行われていました。
世界の標準時間は、イギリスのグリニッジに定められていますが、日本では明石ということになっていますね。昔の人がそんなことを知るはずもないんですが、その明石を中心にして「お天道さまの迎え送り」が行われていました。「お天道さまの迎え送り」とは、日が昇ってから落ちるまで、お日様に向かって一日中、歩きとおして、お天道様を祀るのです。日の出から太陽にむかって東に歩きだし、正午に一番高くなったお日様を見届けて、午後には太陽の進む西に向かって歩き出す。ただただ、ひたすら太陽に向かって歩く。そうすれば、かならずもとの場所へ戻ってくるのですが。そういうことを「おてんとうさまの日」に皆が願いをこめて行ったのです。今はもう、実際にそういうことをしているという話を耳にすることはできなくなりましたが、私がフィールドワークをはじめた昭和39年頃には、幸いなことに実際に一日太陽に向かって歩いたという人にお話を聞くことができました。ほんとうにあった行事なのですね。一日中歩きとおすのは、本当に大変なことです。でも、お天道様がいつも「お天道様」であって欲しいという思いは切実です。
その思いは、江戸時代になっても変わらなかった。ただ、江戸の人は、一日中歩くなどという大変な思いは省略したいのです。そこで、お天道様の日に「六阿弥陀めぐり(ろくあみだぶつめぐり)」をすればOKということにした。ひかり輝く阿弥陀様を、お日様とみたてたのかもしれません。六阿弥陀めぐりには、たとえばこんなルートがあります。西久保大養寺(港区虎ノ門3)飯倉善長寺(港区東麻布1)、三田春林寺(港区三田4)、高輪正覚寺(港区高輪2)、白金正源寺(港区白金2)、目黒祐天寺(目黒区中目黒5)。ほかにも色々なルートがある。しかし、今ではこの「六阿弥陀めぐり」も、あまり言われなくなりましたね。今は「七福神めぐり」の方が有名です。
ちなみに、江戸の人々による「七福神めぐり」は、おひさまの日の「六阿弥陀めぐり」と同じ思いから発案されたもの。それは一種の「人類の英知」なのです。
江戸には、いろいろな地方の人々が集まってきました。なかには「お天道さまの迎え送り」があたりまえの人たちがいた。そうでない人たちもいた。自分の地元の霊こそが一番大事だという人がいた。それがどうした私たちの氏神様は、そんな霊とは格がちがうという人がいた。そこにもめ事が生まれます。
「なにを! きさまのカミなどはみとめない」
「みとめないとはなんだ! この、くそやろう!!」
このように、江戸に集まった人々が信じるカミに関する混乱に対応する必要が生まれる。江戸の知恵が生んだ結果が、面倒なことを言わない便利なカミガミを選んで、それを「日本代表」として推した。それが七福神なのです。
曼荼羅の図の中心は、如来が描かれている。たとえば阿弥陀如来です。でんとして光り輝いている。枠をひとつ外にさがって菩薩様。やさしく人々を包む。そのもう一つ外側が、明王。異形をみせて威嚇する。そのまた外側にある有象無象のカミガミ。江戸の人々は、その一番外側の「手続きができるだけ簡単な」カミを選び、彼らをまとめて船に載せ、なんだかハッピーな福神にしたてあげた。それが七福神なのです。例えば、大黒天はネズミを踏んづけているから、台所のカミだとか、布袋は、もともとはやせこけた乞食坊主だったものを、船に載せたとたんに福々しく肥った幸せ者としてあこがれた。えびすさま以外はみんな外国のかみさまです。日本人には、こういう知恵があるんですね。江戸時代にはとくに様々な知恵がみられるのです。面倒なことはご都合でちゃらにして。地元のカミはさておき、江戸にはこんなヒーローがいたんだ、すごいなぁ。と。そう、思わせた。やっぱり江戸は違うと思わせた。
講義の後の飲み会で、先生に聞いてみたんですが。
日本人は、いまの世界の不安の状況に、この知恵を世界に発信できないものかと。
「どうなんでしょうね。日本人は、世界にも類をみない特殊な民族なようですが、この寛容がどこからくるのかは、わかりません。はたしてこの感覚が世界に通用するんでしょうか。」
こうした日本人の知恵は、『和をもって貴しとなす』の聖徳太子の影響が大きいのではと感じているのですがどうでしょう?と問うと。
「歴史上のだれか一人の力が、この状況を左右しているとは考えずらいですね。だた、今は、日本の歴史の中で、もっとも、危険だった時点に、似てるかもしれませんね。中心人物が、一点をみつめて周りがみえなくなる。そんな危機が歴史のなかに数回ありましたね」と、先生。
実は、不覚にも、その「時点」がどの「時点」に似ていると先生がおっしゃったかを失念してしまいました。その一つは、道鏡のころだったか。。。信長のころだったか。自分の不注意をはじつつ、しかし歴史にまなぶことは大事だなと。未来にいかせるはずだよなと思うのですね。
こんなに知的に興奮できるのは、和塾ならでわです!!感謝!!!!
神崎先生、ありがとうございます。
追記)
講義では、この他に、「お彼岸」と「春分の日」との本来は関係のない関係について、とか、図らずもお彼岸と春分の日との関係を築いてしまった伊藤博文の話しなどなど・・・。和塾では、稽古に出ないとわからない、エキサイティングなお話がまだまだ展開しております。