国民的長寿映画シリーズ「男はつらいよ」。高度経済成長まっ盛りの1969年の第一作から50年以上、今も多くのファンに愛されるシリーズです。フーテンの寅さんが行く先々には、懐かしくも魅力的な日本の原風景が広がります。ほんの数十年前には日本全国どこにでも見られた、いまはもうない風景。そんな風景を失うと同時に、社会も情報も高速度で流れゆく日々の中で、私たちは義理や人情、ちょっとした心遣いや思いやり、寛容さや心のゆとりを少しずつ失っていっているように感じます。
日本の伝統文化から、持続可能な地球を導く新たな価値軸を考える連載「日本文化から考える持続可能な地球のこと」。第3回目は、民族学の第一人者・神崎宣武先生から日本の古き良き時代の人々の生活についてお話を伺いました。そして守らなければならない暮らし、失ってはいけない精神を、次代にどう伝承していけばよいかを考えます。
神崎宣武(Kanzaki Noritake)
1944年、岡山県生まれ。武蔵野美術大学在学中より民俗学の泰斗である宮本常一氏に師事。以降国内外の民俗調査・民族研究に従事する。国土審議会専門委員、文化審議会委員、公益財団法人伝統文化活性化国民協会理事、旅の文化研究所所長などを歴任。現在、公益財団法人伊勢文化会議所五十鈴塾塾長、一般社団法人高梁川流域学校校長、東京農業大学客員教授などをつとめる。岡山県宇佐八幡神社宮司でもある。
著書に『日本人の原風景 風土と信心とたつきの道 』『失われた日本の風景』『江戸に学ぶおとなの粋』『酒の日本文化』『しきたりの日本文化』『おじぎの日本文化』『日本人の原風景』など多数。
●田舎の消滅
神崎宣武先生(以下、神崎):高度成長期から田舎を出て、僕なんかのように都会と地方を行き来していると、持続可能に関して一番問題なのは、日本に「田舎」がなくなってきている、ということがある。それが日本の地方文化の持続を危うくしているのです。第二次小泉内閣による「聖域なき構造改革」の中で強行された市町村合併の影響が大きかったと思うのですが、僕が関わっているところでも、地域の神楽の存続などに大きな困難が生じている。諦めざるを得ないという本音が半分はありますがね。だからそれをどう埋めていくか。この問題は、非常に難しい。
和塾理事長 田中康嗣(以下、田中):都会の中にある「田舎」も同様ですよね。東京の都心のお祭りでも、神輿の担ぎ手がいなくなっている。それで全国の神輿を担ぐ専門集団がいて、都心の祭事は実はそういう人々が支えている。
神崎:神田にしても浅草にしてもね。都会にかぎらず、日本中の神輿渡御には氏子領域を超えての神輿会的な組織が不可欠になっている。
田中:そもそも、大都会には地元住民というものが消滅しているところが多い。オフィスビルが建ち並び、全国チェーンの料理屋やレストランが立ち並ぶ街区に、祭りを支えるような人間はほとんど存在しませんからね。僅かに残る住民もタワーマンションなどに住む、地元意識などまるで持たない人々だ。
神崎:イベントとしての祭事は継続していても、それでもって持続可能だというのはいささか躊躇せざるをえない。イベント的お祭りをつづけることと、地域文化の持続可能ということは、別ですからね。50年100年のスパンで続くのかってことを考えればね。だからもう一度できることは何か、伝統文化で言うと継続できることは何か。都心であっても地方であっても、今のこの人数の中でできることは何かっていうことを考えないといかんのでしょうね。
田中:そうですね。文化として関わる人の数も増やしていかなければならない。けれど、それがまた難しい。
神崎:この時代に、そうした事例を増やすというのはそう簡単じゃないよね。その人自身のモチベーション、それからその人の親兄弟、家族との関わり、また、地域の共同体、村落的組織のあり方、それぞれの場で、持続させるためにはどうすれば良いのか、という議論が必要なのだと思う。都会でも地方でも同じですね。ひとりひとりにとっての「田舎」をどうつなげてゆくのか。今取りかからなければ、なし崩し的にジリ貧になる。今のように感染症などが蔓延すると、その機会が去年ほとんどなくなった。今年もできない。そうしたらもう、このままやめやめよう、などという話が出る。無くても生活には困らないだろう、とかね。もともと文化とは、その土地や集団の余力、余裕を誇るものだった。それを代々続けてきた。ということは、伝統文化というのは続けることにとても労力が要るということを、今の時代は改めて認識しなきゃいけないんですよね。
田中:そうしたものごとが、苦労することなく自然につづいていた頃に、もう一度戻せないものかと思うのですが。昔は、つづけるということに特段の労力など必要なかったのでしょうから。村の祭りはつづいてゆくことがむしろ自然だった。けれど、戦後の高度経済成長あたりからそれが重荷になっている。
神崎:持続すべき文化の担い手が消えてゆきつつある。由々しき問題ですよ。
●旦那衆の消滅
田中:この持続性には、担い手の問題と同じくらい重要なこととして受け手の問題もあるように思います。例えば、先生も著書の中でお書きになっているような、「金さばき」の良い男衆のような人が、今、本当に少なくなっている。もしかするともう絶滅したのじゃないかとまで思えることがあります。そういう人々の存在が、その民族の芸術文化を支えてきた事実があるのですがね。小唄端唄を趣味にしていたり、謡の稽古にいそしんでいたり、休みの日には器をつくっていたり。そうした暮らしの中で、自分に直接的な利得がなくても、時には大金をポンと出すような男たち。芸術文化の受け手としての男たちの重要性。明治大正の頃は、例えば財界数寄者的な人がたくさんいて、自分たちの芸術や文化を支えていたのですが、今はほとんどいなくなっている。
神崎:本当に。ほとんどゼロと言ってもよいくらいですね。企業の経営者などでも、今オーナー意識っていうのは持てないんでしょう。いろんな手続きがあって、税務や会計上の処理があって、コンプライアンスの問題や企業ガバナンスの課題があり、個人の裁量では動けないんでしょうね。
田中:けれど、せめて気持ちというか心意気だけでもね。今の男性諸氏、特に大人の男たちは、その心意気がとてもさもしいことになっている。いい歳をした立派な男たちがどうにも恥ずかしいことになっているのです。僕らの先輩がいわゆる団塊の世代なのですが、彼らは特にそういう社会的な意識がない。自分の国の芸術文化を少し支えてやろうか、なんて意識、かけらも感じないです。曇りのない見事なエピキュリアンで、自分の快楽のためには一生懸命。けれど、他者や社会への視点がほとんどない。言い過ぎですかね?
神崎:田中さんと僕らの間に団塊世代がいるんだけど、あの人たちが日本土着的な伝統的な文化をないがしろにしたのかもしれない。というと言い過ぎになるが、都会に出て学校を卒業したが、郷里との縁をつながない人が増えたことは事実でしょう。
田中:彼らが生きた時代がそのような実態を形成せしめた、ということもあるのでしょうが、それにしても悲しい世代だ。
神崎:だって学生運動や大学閉鎖もあって、大切なことを学びにくかった。それもあって、地方に学び大人に学ぶ教養を持ちえなかった。現代のコロナ禍がさらに長引くと、また同じような心配もでてきますね。
田中:手本にすべき良き「旦那衆」がほとんどいないのは、不幸なことです。今の時代、旦那衆がある程度の数で存在しないと、良き芸術や文化は維持できない。例えば、今年、東京を代表する老舗の料亭が店を閉じた。閉店が決まると、多くの人が惜しいね、残念だね、なんとかつづけられないものなのか、などと言い出す。けれど、その中に、客としてその店を贔屓にしていた、というような人はまずいない。毎週行けとは言わないまでも、せめて年に数回はこうした料亭料理屋に出掛けて、旨飯旨酒に舌鼓を打ち、床の掛け物を愛で、芸者衆の余興を楽しむような男衆がいないと、存続のしようがないのですから。芸術文化の持続性は、もちろん送り手・作り手が不可欠ですが、それを使い楽しみ愛でる客、つまり受け手が存在しないと話になりません。
神崎:しつらえの美を評価することができるだけの教養を持った受け手がね。団塊世代も問題ですが、しっかり体現できる大人も少なくなった。例えば、かつての政治家は筆づかいの教養があった。署名だけでなく軸や額も書いた。したがって、座敷に入ると、そのしつらえを評価することもできたんですね。と、同時に、料亭に集うような旦那衆や政財界の男たちではない普通の男どもにも問題はある。昔の映画、例えば渥美清の寅さんや、小説、例えば山本周五郎の『青べか物語』などには、市井にあっていさぎよいごく普通の良き男たちがいたものです。
田中:そうですね。自分が幼い頃(昭和30〜40年代)でも、普通のおじさんが駅前の大衆食堂のようなところで、ごく普通に「釣りはイイよ」などと言っていた。本当に少額だったのでしょうが、自分の領域内で、店の仲居や小僧のことを思いながら、心付けとしての贈与を自然に行っていたものです。彼らもまた、社会に必要な「旦那衆」だった。
神崎:日本にはチップの制度がない、などと誰彼かが断言してしまう。とんでもないことです。日本にはいわゆる「心付け」と言うような仕組みがずっと前からあるのにね。料理方や芸能者には「おひねり」を配るとかね。それを元からないことにしてしまった。
田中:けれど、僕はそこには少し可能性を感じています。今の40代50代ぐらいの男たちが、少しそんなことを求めている気がするのです。心付けをスマートに振る舞うことができるような格好いい大人になりたいと思っている。ただ、そうした振る舞いを誰も教えてくれないから、どうしたら良いかわからない。上手に導いてあげれば可能性はあるのではないか、と思うのです。スマホ決済でキャッシュレスなどという流行とは別次元でね。釣りはイイよ、を実践する男たち。令和の旦那衆をつくっていきたい。(中編へ続く)
[連載一覧]日本文化から考える持続可能な地球のこと
・和塾による新しいプロジェクトが始まります
・ニッポンを基点に「持続可能な地球」を考えてみよう
・対論[第1話]福原寬×田中康嗣
[前編]グッと内へ向かう感じ
[後編]借り物で一流にはなれない
・対論[第2話]桂盛仁×田中康嗣
[前編]1500年前の技法でつくっています
[後編]金持ちほど品がないです
・対論[第3話]神崎宣武×田中康嗣
[前編]釣りはイイよ、と言える男たち
[中編]人間は、いろんな匂いがしますから
[後編]バトンゾーンをつくり、但し書きを添える
・対論[第4話]橘右之吉×田中康嗣
[前編]あめつちから生まれ、あめつちへ還る
[後編]まがいものを見抜き、もどきを楽しむ
・対論[第5話]鶴澤寛也×田中康嗣
[前編]モジュールを組み合せる
[後編]文化を伝える箱
・対論[第6話]山井綱雄×田中康嗣
[前編]灰色で曖昧な領域
[後編]カレーライスとナポリタン
・対論[第7話]新内多賀太夫×田中康嗣
[前編]始めに愛がある
[後編]日本を模倣する西洋
・対論[第8話]稲畑廣太郎×田中康嗣
[前編]花鳥諷詠の心
[中編]この味が大事なんです
[後編]余地・余白・余韻