連載

対論[第7話・後編]新内多賀太夫×田中康嗣
日本を模倣する西洋

●西洋のゲイジュツと経済の呪縛と

田中:昭和30年代に生まれた僕の習い事というと音楽ではヴァイオリンで、三歳離れた姉はピアノでした。どちらも母が主導していたのですが、その母親が亡くなってから遺品などを整理していると、母親自身はしっかり日本の習い事を修めていたのですよ。茶道だったり華道だったり日本舞踊であったり。けれど彼女は、新しい時代に生まれた息子や娘には、そんな日本の伝統的な習い事よりも、西洋のゲイジュツを学ばせようとした。時代はちょうど高度経済成長のまっただ中だ。戦後の日本が世界に向けて打って出るような空気が充満していたのでしょう。三味線だとか浄瑠璃などに居場所はなかったのかもしれない。少なくとも母の選択は子供たちへの愛情の結果だったことは疑いない。けれど、今となっては、ヴァイオリンではなく三味線に触れておきたかったな、とは思います。幼い頃、どこからか三味線の音が聞こえるような、そんな環境で育ったような人が、ちょっと羨ましい。

多賀太夫:そうですね、僕は生活の周辺にまだ三味線の音色がありましたが、もし自分の身の置き場所が違っていたらどうでしょう。教育を受けてきた環境や時代の影響を考えると、三味線は遊廓など特殊なところで鳴っているものという認識が強かったのではないでしょうか。

田中:花柳界や花街、茶屋町、ちょっと艶っぽいところにある音色だった・・・。

多賀太夫:はい。お稽古に通うような人も、教える師匠たちの中ですら、そういう感覚をもった方がいたように思います。要はお遊びの場で鳴っている。対して、ヴァイオリンとかピアノなどの西洋音楽は、貴族文化というか、どこか崇高なものだ、という印象。

田中:一方はお遊びの余興で、もう一方は崇高な芸術。誤ったすり込みですよね。今はそう思います。

多賀太夫:もっと前の世代にとっては、三味線の音は暮らしの中にある当たり前の存在だったのに、戦後になるとその音色は旧時代の花柳界にあるものになってしまい、新しい時代の子供たちが取り組むようなものではない、と思い込んでしまったのでしょうね。息子や娘に学ばせることから除外されちゃった。

田中:明治のご一新で否定され、その後の大きな負け戦でさらに排除され、経済成長やら技術革新やらグローバリズムやらで根絶やしにされ、今に至る・・・。

多賀太夫:そうですね。その後バブルがはじけ、リーマンショックに打ちのめされ・・・。日本の伝統芸能の哀しい歴史です。

田中:まあ、現象としては、すべて滅んで絶滅するようなことにはならないのでしょうが、その本質はほとんど絶滅しているような気もしますね。本来あるべき日本の文化とか美意識とか価値観とは異なる基盤の上に乗っかって、ただ現象として残っているだけの存在。外貨獲得のための観光ビジネスのツールとしての地域の伝統芸能、のようなことですがね。政府の成長戦略会議などで金融系の外国人アナリストなどが提唱する類いの文化施策などはすべてそうで、日本文化の根本とはまったく正反対のものになってしまっている。

多賀太夫:経済というか、お金の問題は確かにありますね。そもそも、かつての伝統芸能では、お金のためだけではなく、意気地とか芸を大切にすることが優先で、その次に自分という方が多かった気がします。演奏する目的がお金をいただくことではなかった。誇りもあった、意味も意義もあった。それがいつの間にかお金を稼げないと意味がないようなことになってしまった。伝統の形が変わりましたよね。顕著になったのは、昭和の半ば過ぎでしょうか。逆にみれば、芸をすることで多く稼げた豊かな時代ですから、その可能性を考えると羨ましくもありますが。

田中:日本社会全体の好景気にのって、伝統文化にもマネーが落ちてきた。

多賀太夫:そうですね。簡単に儲かっちゃった。新内でも、流派が21まで膨れ上がりましたからね。

田中:経済的価値と文化的価値が、本来は別の次元にあったのに、いびつな形で結びついたようなことになった。骨董品の美的価値とか文化的価値よりも価格がいくらなのか、なんてことに人々が注目するようになる。文化までもがゼニカネの問題になってしまった。錯覚というか錯誤なのですがね。芸術文化には金銭ではない意義や意味があるはずなのに。

多賀太夫:はい。けれど、お金じゃない価値に対する思いは、伝統芸能の人々の心の中に、今でも確かに残っていると思います。

田中:建て直してゆける可能性がまだあるのかもしれませんね。西洋の芸術に追われ、経済の論理に翻弄された日本の伝統文化ですが、反転する社会的機運が高まっているように思います。

 

●西洋による模倣が始まっている

多賀太夫:西洋と日本の関係でね、最近、面白い話しを耳にしたことがありまして。ニューヨークの裁判で謝るのが流行っている、と。その方が、賠償金が少ないから、ということらしいのです。アメリカ人のそれまでの考え方は、謝ったら負け、のようなことだったのですが、それでは支払う賠償金がどんどん増えてしまうから、早めに謝罪する。まるで日本人のよう。ニューヨークの人たちは心の誠意を示すことを日本から学んだ、という話しなんです。

田中:今、欧米の人々が、自分たちのやり方では未来が描けなくなっているのでしょうね。今までの思考法でこのまま進んでも行き止まりなんじゃないかと、思い始めているように思いますね。

多賀太夫:サッカーの練習方法などでも、例えば、バルセロナのカリキュラムでは、低学年までに徹底して基本の動きを学ばせる。自由なサッカーはその基本をマスターしてからになっているらしいのです。ちょっと意外ですよね。子供の時には自由にやらせて、大きくなったら戦術の型をトレーニングするのかと思ったら、そうではない。それってなんだかとても日本的ですよね。ヨーロッパのサッカーが日本の「まず型を入れる」ような方法を模倣し始めたのかな、と思った。

田中:欧米では、幼い頃から個性を重視して、型を学ぶようなことより個性を発揮させることを大切にしているのかと思いきや。もしかすると世界は少しずつ変わり始めているのかもしれませんね。芸術文化の領域でも、個性や独創性をひたすら追い求めるようなやり方は明らかに行き詰まっている。それではどんどん珍妙なことになっていくだけですから。

多賀太夫:そうですね。楽器の演奏でも、訓練をつづけてゆくと必ず壁にぶつかります。それまで積み重ねてきたことだけでは越えられない壁。稽古に稽古を重ねても、どうしても先に進めないようなことがある。その時、人は初めて自分自身と向き合うのです。自分が問題になるのはそのくらい進んでからのことで、初めから個性が課題になることなんて考えられないのですよ。オリジナリティは、本当に行き詰まってからの話し。

田中:師匠や先人たちが積み重ねてきた型の模倣を徹底して続けたその先に自分の個性が現れる、ということですよね。持続可能性という観点から考えても、そうした日本的発想の方が有効だと思いますね。ただ、残念なことに、今の日本人は多くがそれを否定的に考えている。

多賀太夫:日本のやり方のどこがどういうふうに優れているのかっていうことをちゃんと説明しなければならないのでしょうね。いちいちクドクド説明するのは野暮なことだ、という時代もあったのですが、変わらなければね。

田中:今は、そういう発信をする良きタイミングだと思います。欧米のやり方を良しとして進んできたけれど、あらゆることが行き詰まっていますから。今、この時代に新しい視点として、日本ならではのメソッドを発信していくのは、とても大事なことだなと思います。多賀太夫、動くべし、ですね。

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撮影:井手勇貴

 

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