1000年単位で考える。というと、絵空事のように思えて現実感ないですよね? ことにSNSやらAIやらI o Tの現代社会においておや。ところが、日本の伝統文化の世界ではこれが今でもまことに良く耳にするコトバなのです。
私がこの言葉を最初に聞いたのは、2005年のこと。その後、人間国宝に認定されることになる漆芸蒔絵の傑物、室瀬和美先生にはじめてお目に掛かった時のことです。当時まだ広告業界に身を置いていた私は、ほとんど一週間単位で人生を送っており、今日明日をどう突っ切るかが勝負の分かれ目。ドッグイヤーで考えろ、などと先輩諸氏から尻をたたかれていた身ですから、室瀬先生の言葉は衝撃でした。「私たちは、1000年の単位でものをつくっているんです」と。
その後お付き合いが深まるにつれ、この言葉が事実として、室瀬先生のものづくりと直結していることが分かってきました。日本で古来より造りつづけられている漆の造形物は、使いつづければ何千年という耐久性を持ち、役目が終わればそのすべてが分解されて土に戻るもの。漆を塗布した器物は、時とともに透明度が加わり、奥深い漆本来の美しさを獲得するには長い月日が必要です。できあがった時が完成の時ではなく、歴史を重ねることによりその価値を高めてゆく漆の器。先人たちが造った作品に学ぶ姿勢の強かった日本の作り手たちは、何百年も前に造られた作品を必ず目にし、手にしているから、自分が造る作品の千年先に思いを致すことができたでしょう。自分が施す塗りや蒔絵や象眼が百年、千年の時を経てどのような美をその時それを手にする人に提供できるのか、を思いながら造る。室瀬先生のものづくりは、まさにそうした精神の上にある。1000年の単位で造っているのです。浅薄な今だけを生きる類いの人々には真似の出来ない時間感覚がそこにある。
持続可能な地球、という考え方が世界の耳目を集めています。16歳の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが「How dare you(よくもそんなことを)」と怒り、温室効果ガスによる地球温暖化対策が各国で議論され、日本政府も2030年代半ばまでにガソリン自動車の販売を禁止する方向で調整に入ったといいます。株式市場では、ESG投資が拡大し、国連では持続可能な開発のための国際目標、SDGsが採択され、日本でも大きな書店の店頭にはSDGsのコーナーに関連書籍が並んでいます。個人の生活でも、企業の活動としても、この問題への認知や理解が進み、具体的な活動や行動も随所で展開されているようです。プラスチックゴミを出さない暮らしを心がけたり、都会を離れ地方に生活の拠点を移したり、飛行機をできる限り使わない旅に出掛けたり。環境に配慮した漁法で獲られた天然魚を使用したフィッシュバーガーを提供したり、リサイクル素材を利用したダウンジャケットを製造したり、二酸化炭素(CO2)の排出を実質ゼロにする「カーボン・ニュートラル」自動車を開発したり。とはいえ、日本でのそうした取り組みは、欧米各国でのそれを周回遅れでよたよたと追随しているような印象です。自らの基準や意思を持って進むというより、外国での取り組みを押っ取り刀で追いかけている。
けれど、この「持続可能な地球」のための意思や哲学、その実践や活動に関わるアイデアやヒントが、海の向こうではなく、我々の足下にいくらでもあること、知らない人が意外に多いようで。例えば、本稿冒頭に記した「1000年単位で考える日本のものづくり」などは、まさにその哲学も実際も「持続可能」の見事な手本。そもそも、日本本来の文化は、そのすべてが持続可能を前提としたものであり、そうでないものなどなかったのですから。地球の危機が顕在化した今になって、その最大の元凶でもある欧米の文化文明から、持続可能な地球について学ぶことなどあるんだろうか?とまで言っては言い過ぎかもしれませんが、ともあれ、持続可能な地球のことなら、まずは足下にある日本の文化、それも伝統的な文化文明に着目する方がよほど新しいと思うのです。
そこで、この連載では、世界が注目する「持続可能な地球」のことを日本文化から考えてみたいと思います。例えば、漆の器から、あるいは能楽の舞台から。数寄屋大工の仕事や板前の道具から。日本の庭園や茶室の思想から。ファストファッションの有り様を和装の思想から検証するとか。ファーストフードの未来を茶懐石の膳の上で考えてみるとか。戦争と平和のことを忠臣蔵から紐解くとか・・・。
科学技術と市場経済は、不断の「拡大・成長」を不可避の前提として、産業革命以降の地球を牽引してきました。そのスピードは、人間の認知限界をも超えるようなレベルに達している。ことに、この半世紀での、AIを軸としたITテクノロジーとDNA解析を核としたバイオテクノロジーの飛躍的進展と、グローバル市場の形成は、地球上にさまざまな歪みを産み、人びとの心に未来への不信と不満を引き起こしています。拡大・成長の追求は、地球環境への高負荷を伴い、緑の地球に回復不能な傷跡を残しつづけている。地球とそこに暮らす人類は、何らかの新しい思想や哲学、価値観を見いださねば、健全に存続することが難しい局面を迎えています。
答えはどこにあるのでしょう。
この連載は、日本の伝統文化から、「持続可能な地球」を導くであろう新たな価値軸を引き出そうとする試みです。自然の恵み豊かな極東の島国で育まれ、長い年月を積み重ね、今にいたるもその本質を失っていない本来の日本の文化文明は、少なくともその事実だけで、実際に持続可能である、と言い得る存在です。その有り様は、世界中の人びとが、耳を傾けるに値するものではないか、と思うのです。
[連載一覧]日本文化から考える持続可能な地球のこと
・和塾による新しいプロジェクトが始まります
・ニッポンを基点に「持続可能な地球」を考えてみよう
・対論[第1話]福原寬×田中康嗣
[前編]グッと内へ向かう感じ
[後編]借り物で一流にはなれない
・対論[第2話]桂盛仁×田中康嗣
[前編]1500年前の技法でつくっています
[後編]金持ちほど品がないです
・対論[第3話]神崎宣武×田中康嗣
[前編]釣りはイイよ、と言える男たち
[中編]人間は、いろんな匂いがしますから
[後編]バトンゾーンをつくり、但し書きを添える
・対論[第4話]橘右之吉×田中康嗣
[前編]あめつちから生まれ、あめつちへ還る
[後編]まがいものを見抜き、もどきを楽しむ
・対論[第5話]鶴澤寛也×田中康嗣
[前編]モジュールを組み合せる
[後編]文化を伝える箱
・対論[第6話]山井綱雄×田中康嗣
[前編]灰色で曖昧な領域
[後編]カレーライスとナポリタン
・対論[第7話]新内多賀太夫×田中康嗣
[前編]始めに愛がある
[後編]日本を模倣する西洋
・対論[第8話]稲畑廣太郎×田中康嗣
[前編]花鳥諷詠の心
[中編]この味が大事なんです
[後編]余地・余白・余韻