連載

vol.03 東麻布「野田岩」の筏の蒲焼

「江戸前」は、じつは「鮨」ではなく「鰻」からでた言葉である。江戸の海、今の東京湾にはおびただしいほどの数の川が流れ込んでいる。海からこの川を上ったり下ったりする鰻のことを「江戸前」と呼んだ。それ以外の遠方から運ばれてきた鰻のことはなんといったかと言うと「旅の鰻」と称して区別した。

 

その「江戸前」の鰻のベストシーズンと言えば秋である。産卵のため、栄養をつけた鰻が海へ下っていく。これを「下りの鰻」と呼んで、江戸っ子はことさら珍重したのだった。

「土用の鰻」が一番と言うのは、作られた俗説で、夏場に売れない鰻の蒲焼をなんとか売り出したいと、江戸時代のある鰻屋が平賀源内に頼み、源内は万葉集に収められている大伴家持の歌にある「石麻呂に吾れもの申す 夏痩せによしといふものぞ 鰻とり食せ」を引いて、夏痩せには鰻の蒲焼が良いと宣伝したらしい。「丑の日」に「う」に因んだ「鰻」をかけて「土用丑の日うなぎ」としたという。今でいう名キャッチコピーである。鰻だって暑い日は夏バテしていて、夏痩せしながら川や沼でじっとしているのだ。したがって、鰻の季節は秋から冬にかけてと言うことになる。

鰻を蒲焼に仕立てるには、まず、割いて、串を打ち、素焼きしてから蒸し器にいれ、蒸しながら余分な脂を落としてゆく。それから、たれをつけながら炭火で焼き上げてゆく。

上方では「蒸し」が省かれて調理されるから、皮目はパリっと仕上がるものの、脂がまつわりついたままの鰻の蒲焼となる。

江戸っ子は、この「脂」にまみれた蒲焼が苦手で、十分に蒸された、余分な脂を落とした蒲焼を好んできた。江戸っ子は気風も同様、何事にも執着しない「さっぱり」したものが好みで、「脂ぎった」ものは「野暮」と言って敬遠したのである。

しかも、大仰なものも大嫌い。なんでも小ぶりなものが大好きで、鮨の「こはだ」着物の「小紋」など、どれもこれもミニチュア嗜好。江戸っ子の美意識は「粋」ではなく「小粋」で「大袈裟」「大仰」は「野暮天」とか「野暮の骨頂」と言って卑下したのだった。

東京・東麻布の「野田岩」を知ったのは、今から40年ほど前、ガイドブックを上梓するために東京中を食べ歩いた時だった。若い者にとって、はじめは脂ぎっていない鰻の蒲焼に抵抗があったが、東京の鰻屋を20軒も廻るうちに「野田岩」の質の高さを知るに及んだ。

その一つは、いまでも「天然」の鰻にこだわり続けていることである。現五代目主人・金本兼次郎さんは、92歳になった今でも調理場の焼き場の前に立って、団扇片手に鰻を焼いている。

20年ほど前、日本で天然鰻が手に入りにくくなったときは、ヨーロッパまで鰻を求めて探しに出かけていた。フランスはマルセイユに近いモンペリエ、果てはアイルランドまで。

ヨーロッパには養殖の鰻はないから質の高い鰻を見つけては日本へ送ってもらったのだが、業者は鰻を遠方まで運んだことがないため、鰻が東京へ着いた頃には瀕死の状態になってしまったらしい。

そこで、ヨーロッパからの鰻の輸入は諦めたものの、その質の高さに惚れ込んだところで、パリのサントノーレに「野田岩」の支店を出し、今でもパリっ子の舌と胃袋を満足させている。

五代目の二つ目のモットーは「焦げ目のない蒲焼」を焼き上げること。「蒲焼」は常に味ばかりか、姿も美しくなくてはならないと「野田岩」の蒲焼には、焦げ目がひとつも見当たらない。その美学の潔いこと、「江戸前」のお手本と言ってよい。

いつだったか、2階の座敷で五代目が焼きあげた「鰻」を食べているところへ、静かに現れて、こんなことを言ったことがある。

「毎日鰻を焼いていて、1年のうち、2,3度、今焼いている鰻、お客に出したくないなあ、自分で食べてしまいたいなと思う時があるんです。今日の鰻がそうでした」

 

「江戸前」の美意識は「小粋」だから、鰻の蒲焼も「大串」より「筏」である。「大串」の蒲焼と言うのは、両の手で胸の前に大きな円を作って大皿に見立て、その両縁からはみ出すほど大きな蒲焼のことをいう。重さなら2キロを超える鰻である。反対に「筏」の蒲焼と言うのは、お重のなかに3尾入ってしまうほどの小ぶりな鰻のことで、その様が材木を組んだ筏に似ているところから名付けられた。

筏の蒲焼

中串の蒲焼

「筏」は天然鰻の専売特許のようなもので、本当の鰻好きは春先の天然鰻のシーズンが待ち遠しい。「野田岩」の箸袋には、次のようなことが書かれている。

「天然鰻のお吸い物のきも、又はきも焼に釣針が入っていることがありますのでお気をつけ下さいませ。

天然うなぎ使用期間4月~12月(目安期間です。漁期に多少ズレがあります。)」

「野田岩」へやってくると、いつも注文するのが、煮凝り、肝焼き、志ら焼き、蒲焼で、天然の鰻が入荷しているときは、そして「筏」があるときは、養殖には目もくれない。「野田岩」で天然の「筏」や「中串」をいただくと、蒲焼は決して「脂っこい」料理ではなく、鮎や鯉の緻密な身質に似た川魚独特の味わいがあることを知るはずである。「野田岩」で「筏の蒲焼」を食べるたびに東京に生まれてよかったと思う。

 

[連載一覧]山本益博・我が人生の十皿
01 東京「たつみ亭」荒木保秀の「上かつ」
02「みかわ是山居」早乙女哲哉のはしらのかき揚げ
・03 東麻布「野田岩」の筏の蒲焼
04 銀座「すきやばし次郎」のこはだの握り
05「吉い」吉井智恵一 鱧のお椀
06 東京「コートドール」斉須政雄の「しそのスープ」
07 気仙沼「福よし」村上健一のさんまと吉次の塩焼き
08 柏「竹やぶ」阿部孝雄の そばがき
09 三ノ輪「トイ・ボックス」山上貴典の醤油ラーメン
10 京都「浜作」森川裕之の「鯛のお造り
11 別皿 東京「HIDEMISUGINO」杉野英実の「ランブロワジー」