連載

vol.05 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(1)

翁を観るとシアワセな未来を感じます。
小鼓の打音と掛け声が、頭骨の中を貫きます。三間四方の小さな舞台が、永遠の時空を司る。
いったい、能のどこがどうなって、そんな幸福の感覚を運んでくるのか。不思議な民の、不思議な芸能が、ここにある。

夏目漱石は、その著書『草枕』のなかに、次のようなことを書いています。
「我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである」

人間国宝。国の宝、と呼ばれる人に、この国のことを聞いてみたくなりました。
世の中にあるまじき悠長な振る舞いから幸せを受け取る人々が暮らす国とは、いったいどのようなものなのか。

第二回は、鼓の人。能楽囃子小鼓の人間国宝、大倉源次郎先生です。

「今ほど、能を伝えることにエネルギーが必要な時代はないと思います」大倉源次郎先生の言葉です。

西洋からのあまりに強力な芸能文化の流入を前にして、日本の古典芸能は、本当に厳しい環境に晒されています。しかも、肝心の日本人自身が、生まれたときから異国の芸術文化を基盤とした教育を受け入れ、自分の国の芸能への知恵も感性も欠いたまま大人になっている。小泉文夫によれば『西洋音楽(芸術)しか知らない日本のインテリは、自分の音楽(芸術)を持っていない人びとであるとさえ断言できる』という。

日本の芸能に明日はないのでしょうか? そこには、次代へ引き継ぐすてきな未来は存在しないのでしょうか? 源次郎先生の話しを聞いてみましょう。

 

◆言霊の国――

「世阿弥のつくった能「高砂」に次のような一節があります。
『〽言の葉草の露の玉、心を磨く種となりて』
私たちは、『言霊の幸はふ国(万葉集)』に生き、そして暮らしています。この国では、言葉こそが、人々の生と死の指針となるのです。日本の国は、美しい言葉をもった人々がつくりました。その歴史の上に、私たちは生を重ねている。

「高砂」の詞章の意味はこうです。『樹齢を重ねた松の木に幾千万の葉が茂る。その一つひとつの葉から滴り落ちる露の玉、それを拾い集めて美しい言葉をつくりましょう、綺麗な歌を詠みましょう。言の葉の露の玉こそが、人々の心を磨き花や実を結ぶ種になるのですよ』と。大切なのは「言霊」です。「高砂」は嘘のない美しい言葉と人々の深い関係を、遙かな時を越えて、私たちに伝えているのです」

世阿弥が「高砂」の典拠としたのは、紀貫之による『古今集』仮名序。「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」で知られるこの序は、歌、すなわち言葉の力を『あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。(天と地を動かし、目に見えない鬼や神の心をも揺さぶり、男と女の仲を取り持ち、荒々しい武士をも慰める。それが歌なのだ)』と言います。万葉集には、『志貴島の倭の国は言霊の佐くる国ぞ(大和の国は言霊が助けてくれる国です)』という歌があります。日本人は太古の昔から、言葉を尊び、それを紡いで歌をつくり、歌を繋いで物語を伝えてきた。そして、その歌物語から生まれたのが、「能」なのです。

「能というのは、この国に伝えられてきた「美しい言葉」を集めてつくられた芝居です。美しくも悲しい言葉を舞台の上に残し、そのような悲劇が二度と起こらぬよう生きることを人々に伝える。人間だけではない、動物も植物も鉱物までもが抱く言葉と歌に対する思いを舞台の上に結実させたのが「能」なのです。生きとし生けるものは皆、美しい言葉で心を磨くべきです。偽りの言葉で心を閉ざしてはならない。源次郎先生の言挙げです。

 

[連載一覧]田中康嗣(和塾 理事長)・日本の宝 日本を語る
01 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(1)
02 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(2)
03 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(3)
04 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(4)
・05 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(1)
06 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(2)
07 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(3)
08 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(4)
09 京舞人間国宝・井上八千代(1)
10 京舞人間国宝・井上八千代(2)
11 京舞人間国宝・井上八千代(3)
12 京舞人間国宝・井上八千代(4)