今から40年前、1982年に「東京・味のグランプリ200」というガイドブックを上梓した際、取り上げた料理は「すし、そば、てんぷら、洋食、ラーメン」の6種で、どれも東京の郷土料理といえるものだった。「ラーメン」は、一説には大正、昭和初期、浅草、新宿で生まれたとも言われ、新宿では柳さんが作り出したところから「柳麺」もしくは「拉麺」と言う字があてられたという。
スープは何でとったのか知る由もないが、醤油味であったことは間違いないようだ。以来、「醤油味」の人気が高まり、定着し、「支那そば」「中華そば」と呼ばれて親しまれるようになっていった。
「東京・味のグランプリ200」に掲載したラーメン屋は45軒だが、今でも続いているのは8軒ほどしかない。それほど栄枯盛衰の激しいジャンルの料理なのである。
そのうちの1軒が、日本橋の「たいめいけん」。この4月末に日本橋の再開発のために一時、日本橋室町に移転したが、新しい店でも「ラーメン」はメニューに載って健在である。
「東京・味のグランプリ200」に書いたコメント全文をここに転載してみよう。
「支那そばの香りを漂わせる東京のスタンダードラーメンである。めんは極細だし、チャーシューまわりも赤く塗られ、それだけで懐かしい味が蘇ってくる。
『たいめいけん』は洋食屋だけあって、スープをとるのはお手のもの。このラーメンのスープにも洋風を何となく感じてしまうのもそのためか。上出来のスープだけに色のわりにはしょうゆ味を感じさせない。具は上記のチャーシューに柔らかく煮込んだシナチク、それに絹さやが一枚のって色どりを添えている。洋食屋の店内でラーメン一杯だけ食べるには気がひけるという人には、店の右側に、ラーメンの立ち喰いコーナーが出来ている」
先日、新規開店したばかりの「たいめいけん」で「ラーメン」をいただくと、往年の味が蘇ってくる郷愁の味わいだった。同じように、郷愁を感じさせるラーメンと言えば、銀座の「共楽」渋谷の「喜楽」西荻窪の「はつね」がある。
「東京・味のグランプリ200」で最上級の3つ星に格付けしたラーメン屋はたったの1軒で、それが荻窪の「丸福」である。再び「東京・味のグランプリ200」から一部を転載してみよう。
「百店とまではいかないが、中華そばいわゆる東京ラーメンの店を七十軒ほど、のべ二百回近く食べまわって、いきついた味はこの『丸福』であった。(中略)
この店のラーメンの素晴らしさは、めん、スープ、具が三位一体となったバランスの見事さであろう。ひとつひとつはとりたてて抜きんでた味ではないが、ひとつの丼のなかにまとまると、会いたかった人にようやく出会えたような懐かしさをかもし出す。
こういう味は絶対あきがこない。カウンターに座る誰もが最後の一滴までスープを飲みほす。その客の九割までが注文するのが、玉子そば(420円)である。煮たまごを中華そばにのせ、その煮汁をチョイとかけるだけなのだが、これがスープに妙味を加えている。(中略)
『丸福』こそは東京人の誠実で慎ましやかな意気を売る店である」
荻窪駅前で青梅街道に面してあった「丸福」はすでにない。
(現在、近くで「丸福」ののれんを掲げる店があるが、全く別経営である)この私の本を読んで出かけてくださった大阪・阿倍野の調理師専門学校の校長で料理研究家の辻静雄さんは、「丸福」で召し上がった後、わざわざ、電話をくださって「山本くん、並んで食べたよ。とてもうまかった。じつは、ぼくはラーメンが大好きでね」とおっしゃってくださったのが今でも忘れられない。
私の人生で、この「丸福」と並ぶラーメンと言えば、徳島の「よあけ」のラーメンしかない。なんとも形容しがたいシンプルにして奥行きのあるスープで、醤油でも塩でも味噌でもない、料理のプロフェッショナルが生み出したラーメン。
店は、はじめは名もない店だったが、夜明けまで営業していたところからいつ誰ともなく「よあけのラーメン」と呼ぶようになったという。現在、同名の店が徳島駅前にあるが、かつての「よあけ」とは別の店である。
1990年代になると「豚骨ラーメン」が主流となり、と同時に若者たちのたべものになってしまったところで、私の視界から「ラーメン」は消えてしまった。
それから20年以上経って、再び私の興味を掻き立ててくれたのが、東銀座「八五」の中華そばだった。
今までにないラーメンという触れ込みで「八五」に誘われた。食べてみると、醤油でも塩でもない、香りのよいスープで満たされた中華そば。聞けば、鶏や鴨をガラではなく、まるごと野菜やドライトマトと一緒にスープをとり、翌日、それにプロシュート(ハム)を加えて香りと塩味を整えてスープにするというもの。つまり、醤油や塩のタレを使わない画期的なラーメン。生み出したのは、かつて京都の全日空ホテルの総料理長だった松村康史さんでフランス料理出身である。
フランス料理のフォン(出汁)やブイヨンからヒントを得たと言うが、言ってみれば、これは洋食「たいめいけん」のラーメンの進化形ではないか。
この革命的事件に遭遇した私は、慌てて、昨年の秋から再び、東京中のラーメンを食べ歩き始めた。この秋まで東京100軒を食べ歩いた感想は「東京ラーメン、ただいま美味しい革命進行中」である。
その100軒の中で衝撃を受けた1軒が、三ノ輪の「トイ・ボックス」の醤油ラーメンだった。醤油ベースであるのに、生醤油の辛さを感じさせない。仕上げの最後に、丼にひと廻ししてかける鶏油がアクセントになっていて、一言でいえば「エレガント」なラーメンである。
ご主人の山上貴典さんは昭和49年生まれの47歳。子供のころからラーメンが好きで、それが嵩じてラーメン店主になってしまったという。そして、あるとき、思いもよらないラーメンに出会った。それが「69’N‘ROLLONE」(現尼崎市塚口「ロックンビリ―S1」)嶋崎さんのラーメンで、衝撃を受けたという。山上さんはいま、その嶋崎さんに憧れ、その背中を追い続けているとのこと。つまり「トイ・ボックス」の醤油ラーメンは、嶋崎さんのラーメンがベースになっているということである。
先日、塚口まで出かけて、列に並んで「ロックンビリ―S1」のラーメンを食べてきたが、「トイ・ボックス」のラーメンは全く負けていなかった。
ガラではなく、鶏と水のみで出汁をとり、醤油は10種をブレンドしてタレを作っている。
「トイ・ボックス」で「醤油ラーメン」を食べ、店を後にしたとき、ふと心に浮かんだ言葉が「甘露」だった!
[連載一覧]山本益博・我が人生の十皿
・00 はじめに
・01 東京「たつみ亭」荒木保秀の「上かつ」
・02「みかわ是山居」早乙女哲哉のはしらのかき揚げ
・03 東麻布「野田岩」の筏の蒲焼
・04 銀座「すきやばし次郎」のこはだの握り
・05「吉い」吉井智恵一 鱧のお椀
・06 東京「コートドール」斉須政雄の「しそのスープ」
・07 気仙沼「福よし」村上健一のさんまと吉次の塩焼き
・08 柏「竹やぶ」阿部孝雄の そばがき
・09 三ノ輪「トイ・ボックス」山上貴典の醤油ラーメン