最高峰の和文化体験
2022.03.21
1991年のことだから、今から30年も前のことになる。横浜のあるレストランで、フレンチコラボイベントがあった。いまでこそ珍しくないが、親しい料理人たちが集まって、それぞれが前菜、魚料理、肉料理を担当し、コース料理を組み立...
2021.12.30
今から30年ほど前、京都で一世を風靡した板前割烹と言えば祇園の「千花(ちはな)」だった。主人の永田基男さんは季節の魚介、野菜を縦横に使いこなすばかりでなく、りんごを釜に見立てて中になますを盛ったり、赤貝の酢の物にキウイを...
2021.11.30
今から40年前、1982年に「東京・味のグランプリ200」というガイドブックを上梓した際、取り上げた料理は「すし、そば、てんぷら、洋食、ラーメン」の6種で、どれも東京の郷土料理といえるものだった。「ラーメン」は、一説には...
2021.10.25
「そばっ喰い」とは呼ぶが、そばは、喰うとか啜るとか言わず「手繰る」。綱を手繰り寄せるというように、そばをたぐる。つまり、両の手を互い違いに使うことを「手繰る」と言う。 早稲田の学生だった頃、浅草「弁天山美家古寿司」の四代...
2021.10.05
私が子供の頃、さんまは七輪にのせて、炭で焼いて塩焼きにして食べた。焼き上がりに醤油をかけるとジューっと音を立て、大根おろしを添えると、多少苦みが気になっても、脂ののったさんまはことのほか美味しかった。東京下町の町内の、秋...
2021.09.02
フランス料理を半世紀にわたって食べてきて、日本人ならではのフランス料理と呼べる傑作をいくつか味わってきた。 神田「アルピーノ」大渕康文シェフが生み出した「野鴨のロースト牛蒡ソース野ゼリ風味」、銀座「大渕座」時代の「松茸の...
2021.08.06
日本料理は「椀刺しが華」と呼ばれているが、私が初めて「お椀」の素晴らしさを知ったのは、今から40年近く前、京都の「千花」でのことだった。 ある年の3月、「桜鯛」を楽しみに「千花」へ出かけて行ったのだが、カウンターの席に着...
2021.05.31
東京の握り鮨が誕生したのは、文政元年あたりと言われ、今からちょうど200年前と言うことになる。華屋與兵衛は上方の鯖すし、バッテラに代わる小ぶりな握り鮨にふさわしい魚を探していたのだが、煮ても焼いても生で食べても美味しくな...
2021.04.12
「江戸前」は、じつは「鮨」ではなく「鰻」からでた言葉である。江戸の海、今の東京湾にはおびただしいほどの数の川が流れ込んでいる。海からこの川を上ったり下ったりする鰻のことを「江戸前」と呼んだ。それ以外の遠方から運ばれてきた...
2021.03.15
今から30年以上前、「てんぷらは魚の脱水作業」と衝撃的ともいえる名言を吐いたのが、「みかわ是山居」のご主人早乙女(そうとめ)哲哉さんである。 それまで、てんぷらの仕事は「職人の永年の勘」であるとか、「親方の仕事ぶりをその...
2021.02.15
「とんかつ」は、生まれて初めての「好物」といってよい大のお気に入りの食べ物である。 靴下の卸業を生業としていた両親は、日曜日となると、子どもたちを外食に連れて行ってくれた。行き先は、浅草のとんかつ屋「河金」か洋食「ヨシカ...
2021.01.05
私は昭和23年(1948年)東京の下町、浅草で生まれ育ちました。 「すし、そば、てんぷら、うなぎ」は東京の四大郷土料理で、子どものころからそれらの料理に親しんできた私は、早稲田大学を卒業後、自分の「舌と胃袋」で「東京人」...